Healing Discourse

1万回の「愛してる」を、君へ 2013.10.05〜09(絶食 DAY12〜16)

2013.10.05(断食 DAY12)

 愛する美佳、

 私信はダメだが、それ以外の文章ならば内容チェックを受けた上で、弁護士を通じ君へ届けることができるとわかり、『ボニン・ブルー 小笠原巡礼:2013』の原稿を一気に書き終えた(全14部の構成)。

 1つ面白い話を聴かせよう。
 護送の車に乗り降りする際、毎度毎度、やたらあちこちに警官がたくさん配置され、いかめしい顔で周辺を警戒している。
 昨日、刑事が教えてくれたのだが、これは私だけに対する特別措置で、私が龍宮道を使って護送官らをなぎ倒し、逃亡することを防ぐためという。
 思わず大笑いしてしまったね。
 そんなことをすれば、これまでやってきたことがすべて無意味、台無しになるというのに。
「そんなことはしないけれども、全員を倒して逃げることも、やろうと思えばできますよ」と、平然として言ったら、隣に座っていた護送官がギクッとしたように身を固くして、「そんな物騒なことを言わんといて下さいよ」なんて、哀願するような口調になっていた。
 連中、龍宮道のすごさを認め、相当警戒しているらしい。

 それに今日、取り調べ中に聴いたことだが、私は現在留置されている警察署で、誰1人知らぬ者はない「超有名人」なのだそうな。

 少しずつ「影響」が広がり始めたようだ。
 ここで断食をやめたらどうなる?
 私がこれから主張しようとすることも、単に犯罪者の身勝手な開き直り、ということになってしまうのではないか?

 死を覚悟し、1日、1日と断食抗議を続けてゆくからこそ、そこまでして何を訴えかけようとしているのか、と人々も耳を傾けようとするのではあるまいか?

 安全に、楽に、聖なる物質やハーブの封印を解くことは・・・・できない。

『ボニン・ブルー』の原稿を不自然な姿勢で書き過ぎ、指に力が入らなくなってしまった。が、劣悪な執筆環境にもかかわらず、まずまずの出来栄えと思う。

美佳、きらめく愛を、君へ。

一行

                                              

2013.10.06(断食 DAY13)
  <朝>

 愛する美佳、

 看守やら刑事らが、しきりに「食べろ」「大丈夫か?」などと私をせっつく。
 考えてみれば、君や友人らが「生きてほしい」と私にしがみつくのと一緒じゃないか。
 一体誰が味方で、誰が敵なんだか。
 あるいは敵も味方もないのか。

 私にはわからない。
 私は、この状況をただ楽しんでいる。

 先のことなど、考えない。
 ちょっと考えただけで、苦しくなる。

『ボニン・ブルー』の推敲を終え、今度は『ドルフィン・スイムD 利島巡礼:2013』用の原稿を書き始めたよ。
 今日は、第1部『DはドルフィンのD』を仕上げた。

美佳へ、雅[みやび]やかな愛を込めて。

一行

                                           

2013.10.07(断食 DAY14)
            <朝>

 愛する美佳、

 昨夜、愛猫・故シータが登場する夢を見た。
 やけにリアルで、抱いた時の感触までが生々しく今も残っている。
 それに、断片的で短時間の、普通の夢とは違う。
 たっぷり遊び、一緒にアストラル世界で冒険を楽しんだ。
 思えばシータのことを、シーとかシーちゃんなどと呼んでいたのだった。
 シ=死。死は思いもかけない形をとって、私の元を訪れるのかもしれない。

 今朝、こちらへ来て初めて鏡を見たのだが、精悍[せいかん]な感じにはなったが、決してやつれてはいなかった。
 髪もひげも、1週間くらいで伸びるのがストップした。
 それに妙な話だが、腹があまりへこまない。
 柔らかく豊かに膨らんだままだ。
 飲料として供されるお茶のタンニン(苦み)が不快に感じられるようになったため、白湯[さゆ]に変えてもらったが、沸かした水というのは精気ゼロだね。
 ミネラルウォーターを購入できないものかと思ったが、自費で買える飲み物の種類は決まっていて、コーヒー、オレンジジュース(人工的な香料で味つけしたもの)、牛乳と、それから何だったか忘れたが、とても飲めそうにないものばかりだった。
 というわけで、飲み物にはやや不自由しているが、体調は問題ない。
 穏やかな気持ちで、日々過ごしているよ。

美佳へ、宇宙大の愛を込めて。

一行

   

2013.10.08(断食 DAY15)
     <夕>

 愛する美佳、

 ここ数日、夕方頃になると、妙に口の中が気持ち悪く、夜もおちおち眠れないほどだったのだが、本日早暁[そうぎょう]、原因とヒーリング法がわかった。
 口蓋[こうがい]部がギュッと固く閉じていた。
 それに伴い、喉の一部にもブロック(慢性的こわばり)が生じていた。

 それをもっと閉じてレット・オフすると、これまで感じたことがない開放感を覚えた。胃や腹までスーッと楽になる。

 中国の神仙術で、舌先を口蓋につけるという教えがあるが、舌の真ん中から凝集作用を起こし、レット・オフするのも面白い。

 本日、取り調べから帰ってみると、ミネラル・ウォーターが、これからはいつでも好きな時に飲めることになっていた。
 昨夜、接見に来て下さった浅野弁護士の申し入れが通ったらしい。
 早速飲んでみたが、ペットボトルのミネラル・ウォーターなんて、これまでプラスチック臭さが鼻についてとても飲めたものじゃなかったのに、何と滋養に満ちておいしく感じることよ。
 実にありがたいことだ。

 今日、『ドルフィン・スイムD 利島巡礼:2013』用の原稿を、ほぼ仕上げたよ。
 体調は、早朝会得した修法(=マナ。術[わざ]、叡智)のおかげで、大変好調。
 苦しみもなし。

美佳、1万回の「愛してる」を、君へ。

一行

 

2013.10.09(断食 DAY16)
<午前>

 愛する美佳、

『利島巡礼:2013』を仕上げ、『1万回の「愛してる」を、君へ』用の追加原稿も書き上げた。
 近日中に、弁護士に託す。
 やり残していた仕事を完遂した充実感に、今は浸されている。

 ヒーリング・ネットワークを通じ、探し求めてきた「何ものか」を、ここへ至って遂にみい出し、<生命[いのち]の対等>という根源的ヴィジョンを得て、人間による、人間のための術[わざ]、芸術でしかなかったヒーリング・アーツが、天地万有の生命と共振し、響き合う、生命の法、生命の道へと、変容[トランスフォーメーション]を遂げた。

 それが龍宮道だ。

 偉大な人物も、悟りを得た聖者も、私みたいなごく普通の人間も、生命という絶対性において対等だ。
 この世界におけるそれぞれの役割、役柄はもちろん違う。が、それらの違いは皮相(うわべだけ)で、相対的なものに過ぎない。
 であるならば、立派な誰それのようになろうと背伸びする必要はなくなるし、誰かをうらやんだり、あるいは見下したりすることもなくなる。
 生命[いのち]の絶対的本質において、「私」は「あなた」より高くも、低くもない。

 同等、というよりも対等。
 マスプロダクションの製品みたいに同じものが並んでいるのじゃなく、個性ある者同士がお互いに対峙し合い、激しくぶつかり合う対等性。

 ヒーリング・タッチにおいてもしかり。
 教える方が上とか、誰かの方が上手とか下手とか、そういった相対性を越え、生命の本質において自分と相手がまったく対等という態度で臨んで初めて、まったき響き合いが起こる。
 ヒーリング・タッチが、一方から他方へのエネルギー伝達といったものじゃないことについては、これまで幾度も繰り返し述べてきた。

 愛もまた、<生命の対等>に基づいてこそ、<起こる>のではあるまいか?

愛しき美佳へ。

一行