Healing Discourse

ボニン・ブルー 小笠原巡礼:2013 第11部 生命の営み

 小笠原では自然保護に基づくエコ・ツーリズムが徹底して実践されている。
 前にも述べたが、小笠原諸島は大陸と1度も陸続きになったことがないため、他の場所では見られない固有の動植物がたくさん生息しているからだ。
 あるツアーボートでは、乗船に際し、靴の裏をブラシで徹底的に洗い、さらに酢をかけて殺菌消毒し、万一衣服に付着しているやもしれぬ植物の種子を掃除用の粘着ローラーで徹底的に取り去り、さらに靴の裏まで入念にチェックを受け、砂粒1つついてないことが確認できてから、晴れて乗船許可となる。
 強風が吹き荒れ、大波がうねっているような海上で食事中、弁当のふたやビニール袋などが風で飛ばされ海に落ちてしまったら、泳いで取りに行かされる(無論、一定以上の水泳スキルを有する者に限られる。まあ、小笠原流のジョークなのだろう)。

 ドルフィン・スイムに先立ち、
「あそこの、岩場に波が打ちつけているところへは行かないで下さい。死にます」。
「危なくなっても助けに行けません。各自のシュノーケリング・スキルと相談して、自信のある人だけが海に入って下さい」。
 なんて、初心者がギクリとするようなアナウンスが流れることもしょっちゅうだ。
 まさにスパルタ式の荒々しい世界。
 が、そこでひるまず幾度も幾度も果敢に海に飛び込んでゆき、これまで練り培[つちか]ってきたスキルを繰り返し示すと共に、自然への敬いを態度・姿勢で表わしていった。
 すると、それまでよそよそしかったツアー・ガイドの態度が一変、というより激変して、私も美佳も驚いた。
 認められ仲間として迎えられた、そんな感じがした。
 挑[いどみ]の海で結ばれる連帯感。こういうのも悪くない。

 あるツアー・ボートのキャプテンが語ってくれたことだが、北の秘境ケータ島にツアー客を連れてゆき、上陸後、父島に戻ってみると、客の所持品の中に小笠原の固有種ヘビメトカゲが2匹いつの間にか紛れ込んでいるのを発見したという。
 ケータ島は気軽にいつでも行けるような場所じゃない。
 どうしたものかと考えあぐね、環境省に相談したところ、次回ケータ島を訪れる際に連れていって放すまで飼育せよ、とのこと。そこでバッタなどを与えて飼っていたが、その後さらにお達しが来て、父島固有のバクテリアなどがケータ島に持ち込まれる可能性があるから殺処分せよ、と。
 仕方なく冷凍して殺したそうだ。
 これほどまでに自然保護意識の高い小笠原の人たちは、世界中で絶滅危惧種となっているウミガメを、モリを何本も打ち込んで捕らえ、平然と殺して食べてしまう。
 小笠原では一定数のウミガメを漁獲し、食用として供することが許されているのだが、オーストラリアの先住民アボリジナルが伝統文化維持のため例外的にウミガメ漁を認められているケースなどを除き、誰もが気軽にウミガメを食べられる場所なんか、小笠原以外、今や世界中のどこにも存在しないのではあるまいか?

 小笠原を後にする日が数日後に迫ったある日の深夜、私はそっと起き出し、カメラを手に、独り、近くの大村海岸へと散策に出かけた。
 そこにウミガメが産卵に来ていると聴いたからだ。
 ウミガメの上陸・産卵シーンなんて、滅多に出会えるものじゃない。
 ましてや、大村海岸に隣接する二見港は大型船が出入りし、夜間も煌々[こうこう]と照明が灯[とも]っているような場所だ。ソンナところに臆病で極度に用心深いウミガメがノコノコ上陸してくるなんて、とても信じられなかった。
 しかし、ウミガメに出会えなかったとしても、神秘的な深夜のビーチを訪れることは素晴らしい。心地良い涼しい風を満身に受けながらデッキに腰かけ、五感を無限に開放してゆくエクスタシー。
 ウミガメ目当てなのだろう。深夜であるにも関わらず、時折1人、2人、浜辺を歩いてゆく人がいる。

 静かに瞑想していると、どこか遠くから「おぉぉぉぉい」という<声>が聴こえた気がして、目を開けた。
 耳を澄ますが、潮騒以外何も聴こえない。
 再び目を閉じ、瞑想に入ろうとしたら、またしても「おおぉぉぉぉい」と、声ならぬ<声>がする。
 私は片耳がまったく聴こえないので普段は音源の位置がわからないが、不思議なことにこの時は、右方約50メートルのあたりと、ハッキリわかった。
 ところが、耳を澄ましていると何も聴こえない。
 三度[みたび]瞑想に入るべく目を閉じて間もなく、またもや同じ方角から「おおおぉぉい」と<声>がした時には、我知らず立ち上がりそちらへ向けゆっくりと歩き出していた。

 最初、波打ち際にある岩かと思った。
 が、ウミガメのように見えなくもない。
 充分離れた場所に静かに腰を下ろし、じっと観察したが、月明かりに照らされているとはいえ、かなり暗くて岩なのかカメなのかまったく判別がつかない。
 声がしたところへ行ってみたら、そこにウミガメがうずくまっていたなんて、そんなことがあり得るはずがない、とも思った。
 観察することしばし。暗さに目が慣れてきた頃、その黒いかたまりが、ユラリと動いた!
 やはりウミガメだ!
 じっと息を凝らして観[み]守っていると、そのウミガメは最初はゆっくり断続的に、やがてオールのような前脚をさかんに動かして、渚を後にし、浜辺の奥の、海水に浸されない場所を目指し始めた。
 ・・・・が、ああッ、どうしたッ。
 やがて防波堤にぶつかり、2、3度悲しげに首を左右に振ったかと思うと、くるりと反転して一目散に海を目指し始め、あれよあれよという間に波間に姿を消してしまったではないか。
 後で聴いたが、このように、せっかく上陸しても何かの障害にぶつかり産卵することなく海に帰ってゆくケースがかなり多いのだそうだ。

 そこで今度は防波堤のない、産卵に適した場所へ移動し、「ウミガメよ。ここへ来たれ」と念じてみた。
 待つこと数分。・・・・大波が浜辺に押し寄せて砕け、ゆっくり引いていった後に、大きなアオウミガメの姿が残されていた。
 カメは用心深く、じっくり時間をかけて上陸し、トラクターが通った跡のような痕跡を残しながらビーチの一際高くなったところを目指し始めたが・・・・ああッ、これは何事だッ。
 ウミガメが進んでゆく、その真っ正面に、観光客らしき青年が2人、ぺちゃくちゃ大声でしゃべりながら突っ立っている。
 当然ながらウミガメは向きを180度変更、やって来た方へ大急ぎで帰っていった。

 翌日の夜、今度は妻も伴って同じ大村海岸を訪れ、4~5頭のウミガメが上陸してくる様と、それから産卵の光景も、目撃することができた。
 だんだん目が慣れてくると、まだ水中にいて、どこに上陸しようかと伺っているウミガメの姿までが、黒々とした影として、素早くとらえられるようになっていった。
 その夜は、21時前という比較的早い時間帯だったこともあり、ウミガメの産卵を一目見ようと押しかけた観光客や地元小学生の集団などで、浜は騒然としていた。
 皆、わいわいきゃあきゃあ、大声でしゃべっている。
 少し離れた堤防に車がズラリと並び、時折ヘッドライトで海や浜辺を照らし出し、ウミガメを探していた。
 自然に対するあまりのマナーの悪さに辟易[へきえき]させられた。

 それでもウミガメたちはやってくる。小笠原の海の途方もない豊穣[ほうじょう]。

 が、人間のマナーの悪さがいつまでも改まらなければ、気づいた時にはウミガメの姿を1頭も見かけなくなる日がやがて来るだろう。

 それではスライドショーだ。
 ウミガメの上陸シーンは、真っ暗な部屋で観照しないと何も分からないだろう。実際に、あの程度の「観え方」だったのだ。