Healing Discourse

ヒーリング・アーティスト列伝 第4章 心身統一 〜中村天風(心身統一法)〜 第5回(最終回) 命の力の活性化

[ ]内はルビ。

 20年ほど前だったか、学研『ムー』誌編集長より自宅に電話がかかってきて、天風会を取材できないか、といきなり尋ねられた(当時、川崎市麻生区在住)。すでに『ムー』誌に寄稿するようになって久しく、編集長とも昵懇[じっこん]の間柄だったから、その程度のことで驚きはしなかったが。
 きけば、ある執筆者(ヨーガ研究者)が取材を申し込んだが、すげなく断られてしまった。そこで、私なら「そういう方面」に詳しそうだから、何かコネかツテでもあるんじゃないかと思って電話したという。
 実際にコネもツテもあってたちまち取材が実現し、『ムー』誌記事となって結実した。この時の取材にあたっては、当時の天風会理事長・杉山彦一氏に大変お世話になり、今回も本ウェブサイトへの写真掲載を公益財団法人・天風会より快く認めていただいた。ここに特に記して感謝の意を表[ひょう]したい。

 上記のような次第で、私が中村天風と心身統一法に深い関心を抱くようになったのは、雑誌記事の執筆がきっかけであった。
 それ以前には、『破邪顕正 霊術と霊術家』(昭和3年刊)なる書物を通じ、中村天風を霊術家の1人として認識していた(注)。『破邪顕正〜』は、昭和初期に全国で3万人以上に達したといわれる霊術家たちのうち、主な人々を紹介・論評した本だ。その冒頭に中村天風は取り上げられ、大絶賛されているのである。
 天風ファン、マニアにとって垂涎もののレア情報と思われるので、以下に全文を転載してみよう。言葉づかいや句読点の用法は、読みやすいよう現代風に改めた。

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 旧人凋落(ちょうらく:落ちぶれること)し、新人勃興するは、各種社会の通則である。ひとり霊(術)界だけがこの通則から免れようとしたとて、それは木によって魚を求めると同様である。何らの期待をかけることができず、向上も発展も望むことができないということになれば、霊界は行き詰まりである。否、退歩である。
 この時にあたり、溌剌たる元気と、霊妙神のごとき技術と、伸びゆく霊性とを備えて、脈々と勃興し来たる新人のあるあって、初めて意を強うすることができるのである。霊界の前途を祝福することができるのである。ここに新人というのは必ずしも若いという意味ではない。いわんや青いことではむろんない。若い青い術者は切磋琢磨の功を積んで、旧人を凌駕し、老大家先輩を後[しりえ]に瞠若[どうじゃく]たらしめる(相手の素晴らしさに驚き、何も出来ずにただ見守っていること)に至って、初めて新人の列に加わることができる。
 東都いな日本における霊界新人の第一は、何といってもわが中村天風に指を屈しなければなるまい。同君が、統一哲医学会を創立したのは大正8年6月であるから、必ずしも新しいということはできない。しかし、その教授治療は一切無料であって、富者の喜捨は受けるが、貧者の血の出るような金を強要しない。いまだかつて広告らしい広告を出したことがない。ひとり、黙々として講授と治療とのために応じている。であるから、その講授会のごときは、毎回無慮数百人の受講者が蟻集する。こういう講授会の盛況が、他のどの会に行って見られよう。
 かくのごとき大衆の受講者を容れる講堂は、ドンナに大きいだろう? 総建坪実に3600坪、東都第一、否日本第一ではあるまいか。これを建ててある敷地の総坪数は、1万2千坪ということであるが、これは地方に行ったら珍とするに足らぬが、何しろ土一升金一升の東京であるから、驚くなかれ6万3千百円で購入したものだという。そして、明治の初年、相馬事件として有名だった相馬の殿様が押し込められたという由緒つきの屋敷跡である。
 これは統一哲医学会の総本部で、大阪市西区靭上通りに関西支部、東京市浅草区東仲町に浅草支部、京城府旭町に朝鮮支部、豊橋市東8丁に豊橋支部、浜松市下垂町に浜松支部と5つの支部を設けて、二六時中どこかで講授会を開いている。そしてすでに本部支部で出した卒業生3万5千人と称せられている。また盛んなものではないか。ここでチョット紹介しておきたいのは、特に学生のために講授会を年4回開くことだ。これも無料であることはいうまでもない。同君は青年男女の精神教育に傾倒して、青年団や処女会の求めがあれば万障を繰り交わせて出かけていっては、有益な講演を試みる。
 同君がこんな規模で、しかも無料を標榜してやっていかれるのは、統一哲医学会が資本金50万円の財団法人だからである。かかる大金を同君のために出す者があったということは、実に同君の手腕力量を雄弁に物語ると同時に、その人格を裏書するものではあるまいか。この一事だけでも、心霊界新人の第一人者として、天下に推奨するに余りあると思う。これに加えるに、同君は名門の出であって、この点からも第一人者なのである。
 先考(亡父)は、中村祐輔という方で、滋賀県の権令たりしこともあり、後、紙幣用紙改良の功をもって錦鶏間祇侯(きんけいのましこう:功労のあった官吏に与えられる名誉職)となった。
 最近まで中村紙幣の称があったことは、官省に勤めていた人はよく知っているだろう。同君はその長男で、学習院かどこかに学んで、非常な秀才だった。そして霊的天分に富んでおったので、これが研究を怠らなかった。後、欧米に遊ぶこと2回、帰朝後一時実業界の人となり、十有余の会社に重役として名を列したこともある。同君にしてなお実業界に留まっていたならば、すでに実業家として全国に知られていただろう。けれども、霊術に天分を持ち、興趣を持っていた同君が、いつまで算盤など持っていられようはずがない。大正2年の6月であった。断然実業界を退いてしまった。
 それから頭山満、大迫大将等が、青年の思想傾向日に非なるを見て、大日本救世団を組織するや、同君は心霊方面より世道人心を救済すべく統一哲医学会を起こしたのであった。実に、統一哲医学会は大日本救世団の姉妹団体というべく、国民の心身改造をもって眼目とし、またこれらをして病苦煩悶から解脱せしめ、かの危険思想のごときはこれを精神的に救治するというのである。
 学説の一部を抄録すれば、「吾等人間は階級的心、差別的心を持っている。しかし、心を持っていることは知っていても、階級的差別的心を持っていることに気づいている者は少ない。そして心とは我々が日常使っている心を、心の全部と心得ているが、これすなわち階級的の差別的心であって、本当の心というのはモットモット遠い奥があり広さもあるものである。これを適当に訓練し啓発すれば、驚異に値するほど偉大な力や働きを発現し、真に人生を恵まれたものにする。人はこの心の持つ元来の妙能を自覚していない。人間には、自己の本質すなわち真我というものがある。心はその真我の命令を遂行する器官に過ぎない。そしてやはり真我の付属物である肉体に対する支配者の役目を行うものである。(中略)人生苦なるものは、9分9厘まで心を真我の副産物として行使することを知らず、反対にこれに使われていることにより起こるものである。されば、一日もすみやかに心の操縦法すなわち心をいかに訓練し、いかに誘導啓発すべきかということを学ぶ必要がある。しかして、雄大にして荘厳なる人生を形成する尊い境涯に生き得るようにしなければならない」と、こういうのである。以上はホンの一端を紹介したに過ぎないが、単にこの数百字の中にも、学者を益することすこぶる大なるものがあるではないか。
 おわりに特筆大書すべきことは、去る大正13年12月18日と、14年1月15、16、17日との2回、同君は、小松輝久侯に伺侯し、皇族各宮の御前において精神療法について講演をせられたことである。日本の精神療法家、霊術家で、皇族各宮の御前で講演したものは、実に同君をもって嚆矢とする。
 その他、同君が片手間にやっている仕事は、内務省健康保険組合嘱託、青年日本会顧問等である。
 モウ一つ、苦学生のために建てられている純正国士会というのの会長もやっている。
 同君こそは、日本精神療法会の第一人者で、近き将来霊界の主題とも仰がるべき人物である。

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 以上のような手放しの称賛に続き、統一哲医学会(天風会の前身)の役員名がズラリと並べられている。

 特別名誉会員
 侯爵 小松輝久
 伯爵 上野正雄
 同  甘露喜令室
 同  有馬令室
 公爵 三峰後室
 子爵 河鮨實英

 名誉顧問
 頭山満
 男爵 日高壮之丞

 名誉会員
 子爵 京極高徳
 同  本田忠鉾
 同  山口弘連
 同  後藤新平
 衆議院議員 尾崎行雄
 陸軍大将 大迫尚道
 同 本郷房太郎
 前鉄道大臣 山内一次

 評議員
 錦雛間祇侯 向井巌
 農学博士 今関常次郎
 司法省民事局長 池田寅次郎
 医学博士 額田豊
 同 松浦爛根
 同 杉田直樹
 同 島田廣
 海軍々医中将 中尾太一郎
 海軍中将 山本英輔
 海軍造船中将 野田鶴雄
 海軍少将 土山哲三
 子爵 京極高修
 朝鮮法務局長 松寺竹雄
 男爵 鮫島具重
 大審院判事 清水孝蔵
 海軍少将 臼井國
 哲学博士 和田一郎
 海軍中将 上泉徳正
 同 堀内三郎
 海軍少将 西義一
 陸軍少将 菱田菊次郎

超越へのジャンプ』でご紹介した田中守平も、『破邪顕正〜』 の中で取り上げられているのだが、なぜか不当にけなされており、この本は相当な僻見・偏見を持つ者(あるいはグループ)の手になるものと推察される。が、天風に対する媚びおもねるような態度姿勢を差し引いても、当時の錚々たる人々の後援を得て、中村天風が大規模な活動を展開していた、しようとしていたことは事実だろう。
 心身修養の道を標榜する数多くの霊術家たちの中にあって、彼の実力・見識が抜きん出て最高度のレベルにあったことも、容易に伺い知ることができる。
  
「心身統一法」のシステムをひとことで要約するならば、健康や運命を両立的に完成させるために必要な「生命の力」を増大させ、本当に生きがいの感じられる幸福な人生を創り出していくことにある。
 全生命を積極的に活かす根本条件を整えることによって、健康も長寿も運命も成功も、さらに極論するならば人生のすべてを、自分の望むがままに開拓していくことができるようになる、と中村天風は繰り返し述べている。
 心身統一法には、こうした目的を達するためのさまざまな手段や方法が含まれているが、最後にそれらの核心をなすテクニックともいえる「積極精神養成法」「観念要素更改法」「神経反射調節法」について簡単にご紹介しておこう。
 天風の主張によれば、人生を完全な理想的状態とするためには、まず第一に積極的精神を養成しなければならない。それによって不可能と思われるようなことも、心の力が可能にしてしまうようになる。そしてこの積極精神の養成は、正しい方法を系統的に実行しさえすれば、必ず誰にも実現できることなのである、と。
 ところが現代の物質文化のなかで生きている我々は、常に自分の心を手入れすることを怠ってきた結果として、潜在意識の中が消極的観念で充満してしまっている。こうした否定的観念が実在意識を形成するために、自分自身の心を自由に使いこなすことができない状態に陥っているのが現状だ。
 心配事があるから心配し、悲しいことがあるから泣き、腹が立つことがあるから怒る——これではとても積極的態度を堅持することなどできはしない、と天風は叱咤する。そこで必要になってくるのが、潜在意識の陶冶[とうや]=観念要素更改法というわけだが、このメソッドでは特に「言葉」が持つ感化力——というよりは暗示力——が重要視されており、言葉の持つ波動(言霊)を応用して、実在意識から潜在意識をコントロールしていく。
 具体的には、否定的な言葉を使わない習慣を日々心がけることや、鏡に映った自分自身の眉間に向かって「お前は積極的だ!」などの断定的かつ肯定的な言葉を集約するメソッド等がある。

 さらに以上の方法と呼応して、神経系統の生活機能を理想通りに調節する方法が、神経反射調節法だ。
 さまざまな刺激と摩擦に満ち満ちた日常生活のなかで、感覚や感情の衝撃が我々の心身に及ぼしている影響は、はかりしれないものがある。心が受けたショックはただちに肉体に反映し、それによって神経系統のバランスが崩れ生命機能は低下していくのだ。
 神経反射調節法は、この感情、感覚の刺激を一瞬に遮断するための方法であり、一定の肉体的形式と呼吸法とによって成り立っているが、これは天風がインドで体得したクンバハカ密法が基盤となっている。
 天風は神経反射調節法のポイントを、「肛門を締める。下腹に力を入れる。肩の力を抜く」とシンプルに要約している。しかし、これは天風から直接指導を受けた人々にとっても、非常に難解で容易には体現しがたい「奥義」であるとのことだ。
 天風は特に「肛門を締める」ことを強調していたようだが、取材当時見学させていただいた天風会々員による自主研究会でも、この点について盛んに議論がなされていた。
 その際、レントゲンで確認してもらいながら練習したという人が、「あそこまで強く引き締めるものとは思わなかった。」との感想を述べていたが、部外者が口出しすべきことではないかもしれないが、(肛門を)「締める」ことと「(体内に)引き込む」ことはまったく違う。
 肛門がギュッと引き込まれるような力の使い方をすると、下腹だけでなく上腹(みぞおち)にも力が入り、肩にも力が入って、天風が示した要訣に反する。何より、下半身がおろそかになって上半身だけに力がこもってしまうことが、肛門を「引き込む」やり方の最大の難点といえよう。そんな状態では、ちょっと押されたり引かれたりしただけで、簡単にぐらついてしまう。精神的ストレスに対しても同様だろう。

 古流武術の諸派において、肛門の位置を移動させることなく締めることが、重要な秘伝として教えられていた。そのためには、まず肛門そのものの位置と角度を体感的に知らねばならない。肛門が貫く骨盤底の隔膜も意識化する必要がある。肛門の周辺、骨盤の骨に取り囲まれた部分が骨盤底だ。
 たいていの人は、自分が思っている肛門の角度(向き)と現実のそれとが、著しく異なっている。また、肛門は尻(椅子に腰かけた時、座板に当たる部分)と同じ面には存在「しない」。にもかかわらず、多くの人は両者が同じ面上にあると誤って思い(無意識のうちに信じ)込んでいる。
 これは天風が述べた潜在意識の陶冶(円満に育て上げる)とも関わることだ。潜在意識下における肛門に対する誤った認知を元にして、肛門をあれこれ操作しても、その場で直ちに感じられるような劇的な効果は得られない。
 自らの肛門について正しく知るには、(ローションなどを塗った)指を肛門に入れながら、位置と角度を丁寧に感じ取っていくのが最捷径だ。 
 しかし、実際にそれを真面目に実行しようとする者は極めて少ない。肛門について真面目に語ろうとすれば、物笑いの種となり、侮蔑の対象となることを、私自身何度も体験してきている。

 さらに、肛門の「締め方」について卑見を述べさせていただくなら、単に二次元的に締めるのではなく、肛門を球と見立て、あらゆる方向から三次元的に、球状に意識を用いることで、全身どこにも偏りがなく、無理なく、自然に「肛門が締まり」「下腹にどっしり力が入って重心が落ち着き」「肩の力が下腹に吸収されるように内面から抜ける」状態が自ずから体現される。
 慣れてきたら、様々な動作(例えば、座った状態から立つ、など)において肛門の球状緊張が偏らないよう、練修していく。実際にやってみると、1つ1つの動作に伴い、驚くほど肛門が移動することがわかるだろう。ちょっと片手を伸ばそうとするだけでも偏る。武術的にみると、その偏りが「隙」を生む。
 余談だが、カッパが人から抜くという「尻子玉」とは、球状に意識された肛門のことではあるまいか? 尻子玉が抜けると、腑抜け(下腹の力が抜けた状態)の憶病者になるそうだが、天風が説いた神経反射調節法の原理とも呼応しており、興味深い。
 水死者の肛門括約筋が緩み、そこから玉が抜け落ちたように見えることから尻子玉なるものを空想した、との説とも矛盾しない。実際、肛門括約筋がトータルに満遍なく働く時、肛門は「球」として感じられる。

 なお、誤解なきよう明記しておくが、上記はあくまでもヒーリング・アーツの観点から肛門へのアプローチについて参考までに述べたものであり、中村天風が遺したメソッドを解説、論評しようとするものではない。
 心身統一法について詳しく知りたい方は、公益財団法人・天風会より天風の様々な著作が刊行されており、各種メソッドを学べる講習会も定期的に開かれているそうなので、そちらで存分に学び、研究していただきたい。

——心身統一・終——

<2013.05.05 立夏>

注:霊術と霊術家については、ヒーリング・アーティスト列伝第2章『超越へのジャンプ』を参照のこと。