Healing Discourse

幕間2 第2回 骨度等分法

 東洋医学研究家・平田内蔵吉(ひらたくらきち:1901〜1945)については、ディスコースでこれまで何度か取り上げてきた。優れたヒーリング・アーティストであり、熱鍼法の創始者でもある。
 内蔵吉は、身体各部の要所が骨格を中心として等分的に測定できることを発見し、「骨度等分法(こつどとうぶんほう)」と名づけた。

●第7頸椎と手先の中心が肘である(通常、肩から腕が生えているものと仮想し、肩から先だけを腕として使っている)。
●腸骨の上横頂と足先との中点が膝である(通常、足首と股つけ根の中間を膝と仮想している)。
 ※( )内は私の注釈。

 ・・・・・こんな具合に、身体のあり方に深い関心を持つ人にとっては極意ともなる重要な要訣が、骨度等分法にはズラリと示されている。
 これらの極意(根本的要点)を活かせば、いかなる身体運動においても格段の熟達を遂げることができる。筋骨矯正術の術(わざ)のいくつかも、骨度等分法なくしては復元不可能だったかもしれない。
 
 筋骨矯正術の一手だ。

[フォーミュラ]
 受け手の片腕を真横に上げ、さらに肘をしっかり折って手を首に近づける。しかる後、同じルートを戻っていく。

 ただ何となくやっただけでは大して効かない。が、第7頸椎(首を前に倒した時、首つけ根で一番大きく盛り上がる骨)、肘、中指の先(爪の先端)の3点を意識した途端、まったく次元の違う術(わざ)として生まれ変わる。
 水平にした受け手の上腕を片手でしっかり支え、もう一方の手で相手の手首を持つ。そして、水平線から昇り、半円を描いて沈んでいく太陽に中指先を見立て、ゆっくり首のつけ根に向け導いていく。指先は肘のところで真上を向き、そこから残り半分の軌道を円く降っていく(帰りは、来た道を正確に辿る)。
 肘を曲げる際、手が頂点を超えてなお、指先を横(頭の方)へ伸ばそうとする人が多い。が、そういうやり方には必ず無理があり、肩や肩胛骨、胸などに負担がかかり、全身のバランスが崩れていく。
 
 肘を折る時と伸ばす時、いずれも上腕を一切動かさないよう細心の注意を払う。これが第1の要点だ。上腕に遊びがあると、腕の中身が「つながら」ない。
 要訣の2は、首のつけ根に指先を合わせる(あるいは合わせようとする)際、身体を左右に分ける中心面を意識すること。例えば、右手に施術しているなら、第7頸椎の右側に指先を合わせる。境界面を越え、ポイントを真上から覆い隠すようにしない。

 中心面の意識は非常に大切だ。大抵の人は、身体前方の空間に投影した仮想の中心「線」に、自分の手足を揃えようとする。考えてみれば、そうしたやり方では1本の棒を立てたようになるわけだから、極めて不安定とはいえまいか?
 中心面とは、身体の左右を揃えるための基準だ。線ではなく面を中心として、身体各部の左右をきれいに分け揃える。それにより、最も安定しながら、最も効率的に動けるようになる。

 筋骨矯正術で脚に施術する際も、中心面の意識が成否を分ける鍵となる。例えば、仰臥した受け手の右膝を折り、股を腹に近づけていく時には、膝や脚の内側を中心面の右に合わせるようにする。中心面を越えると、たちまち骨盤がねじれ始める。

 骨度等分法に、俄然興味をお持ちになった方も多いと思う。平田内蔵吉が見出した要訣は、前記の他にもたくさんある。
 例えば、

●手先と肘の間に、最も強い運動点がある。
●足端と膝の中間が足首である。

 ・・・・・・・???・・・・・・
 足端とは、この場合、足先を意味するとみて大過なかろう(ヒーリング・アーツでは、踵後ろのアキレス腱付着部を足端と定義しているので注意)。
 その足先と膝の中間部を、実際に長さを測って正確に特定する。サインペンで、脚の回りにぐるりと輪を描いて印をつけるとわかりやすい。

「足首」よりも随分上に、マークが来るだろう。
「無理なこじつけ」と断じ、無視または嘲笑する前に、もう1つの可能性について検討してみないことには、公平さを欠くというものだ。つまり、おかしいのは平田内蔵吉の方ではなく、実は私たち自身なのではないか、と客観的に疑ってみるわけだ。
 少し前までの日本人にとって、足首は今よりずっと上にあった? ・・・・・・もし、それが仮に事実であるとしたら、実に驚くべきことではなかろうか?
 ヒーリング・タッチを使えば、こうした疑問を直ちに検証し、体感的に真実を探っていくことができる。
 
 具体的なやり方をあまり詳しく書き過ぎると、各自の自発性を損ない、ただ与えられるのを黙って待つことしかできない消極人間ができあがるかもしれない。よって、ここにはヒントのみ記し、読者諸氏の自立的探求を待つことにする。必要な術(わざ)と情報は、すでに様々な形で公開してきた。それらを適宜活用すれば、手首と足首を移し、換えることはそれほど難事ではないはずだ。
 
 例えば、旧来の足首と今問題になっている新しい足首(足先と膝の中間)の間を掴むようにヒーリング・タッチし、その触れ合っている広いエリア全部が足首であると認識し直してみる。そして、足と関わる力は、必ずその「筒(足首)」の中を通るようにする。
 あるいは、指で輪を作るようにして古い足首(下側)にヒーリング・タッチ。そして軽く圧迫したまま、新足首の位置へとゆっくり引き上げる。あまり強く抑え過ぎないように。内部にぎっしり詰まったたくさんのスジを、すべて引き伸ばすつもりで。
 すると、「筋合い」が変わって、足(爪先と踵)の中身が引き締められ、組み直される。と同時に、ふくらはぎの中が充実して力がこもる。
 新旧の足首のモード(様態)は、まったく異なるものだ。足首の意識(あり方)を変えると、全身丸ごとの運動感覚が一変することにも驚かれるだろう。
 足首を体感的に変化させる方法は、この他にもいろいろある。各自なりに工夫してみるといい。
 
 同じやり方で、手首の意識もスライドさせることができる。要点を理会すれば、計り知れないほどに利益(りやく)され、I am lucky! と思わず叫ばずにはいられないだろう。それほどの体感洗練(禊)が、一瞬のうちに起こる。もし、そうならないとしたら、それはどこかが間違っていて、真要領に適っていないということだ。
 日本の古流柔術各派で、手首を掴む奇妙な稽古法が採用されている理由も、自ずから判然とするだろう。剣や槍の使い方も、根幹から変わる。
 武術に限らない。手を使って行なうあらゆる動作を、骨度等分法に照らして内面的に組み替えることができる。

「手」を動かすのでなく、「運動点(手先と肘の中間)」が動くのだと身体認識を切り替えれば、距離が短くなる分、速く、楽に動けるようになる。しかも、巧緻で隙がない。そして勁(つよ)い。
 手は、遠くへ遠くへと大きく伸ばそうとする必要はないのだ。そんなことをすれば、たちまち不安定になる。
 遠くまで手を届かせたければ、全身丸ごとで移動すればよい。手首の体的認識を変えれば、自然とそうなる。否、必ずそうならざるを得なくなる。

 上述した筋骨矯正術の術(わざ)も、手首や足首の運動点に着目して施術すれば、最も楽に、効果的に、相手の身体を導くことができる。自分1人でも行なえる。
 言うまでもなく、上腕をあげる時は三角筋の、前腕を曲げる時には上腕二頭筋の、元(起始部)と末(停止部)を正確に意識する。それにより、まったくといっていいほど違う動きになる。精密機械のような隙のなさ。と同時に、生まれ変わったみたいな新しさ、鮮やかさを感じる。

 前回ご紹介した手首と足首の調整法も、その秘訣は、手首、足首を細い線ではなく、太いエリアとして取り扱うことにあったわけだ。それらのエリアのうち、特に「元」(人体の重心部に近い方)を意識して、術(わざ)を使う。
 すると、前回も記したが、手や足が「しっかり」安定する。

<2009.11.22 小雪(しょうせつ)>

参考文献:『東洋医学の革命児 平田内蔵吉の生涯と思想・詩』(久米建寿)