先日、学研の『ムー』誌から、肥田式強健術をテーマとする原稿を依頼された。かつて、同誌で初めて肥田式強健術を広く世に問うてから、来年で四半世紀になる。今回は、実用企画という形式で、強健術について改めて語ってもらいたい、とのことだった。
ちょっと話は脇道に逸れるが、興味のある方がいらっしゃるかもしれないので、参考までに記しておく。雑誌の記事というものがどんな風に書かれるか、についてだ。
今回のケースを例にとると、編集担当者と電話で数分話し合った翌日、以下のような企画書がメールで送られてきた。
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高木一行 先生
昨日、「ムー」の実用記事につきましてお電話させていただきました○○です。
2010年3月号(2月9日発売)の実用記事として、「肥田式強健術」を掲載させていただく、内容につきまして、ご相談かたがたご連絡申し上げます。
今回の記事は、「ムー」のなかほど、「実用スペシャル」と呼ばれる箇所への掲載となります。他のページよりも天地が短く、正方形に近い紙面です。
記事のボリュームは8pですが、最初のページがトビラとなるため、正味7ページです。
「実用スペシャル」という名のとおり、読者が記事を頼りにひとりで実践できるよう、わかりやすく平易な内容を目指しております。
記事の方向性としましては、まず肥田式強健術の何たるかをご紹介いただき、その後、初心者でも実践できるような内容をいくつか、誌面でレクチャーしていただく形にしていただければと思っております。
以下、およその内容と文字数などをまとめてみます。
◆p1
記事のトビラです。
記事タイトル、リード、クレジットで構成します。
タイトルについては、以下のようなイメージを持っております。
「無念無想の境地が心身を驚異的に活性化させる! 肥田式強健術」
◆p2〜3(見開き1つ分=合計2ページ)
「肥田式強健術」とは何か。また、その素晴らしさについて。初めて肥田式に触れる読者にもわかるようにお教えください。
【文字数=15字×180行】
◆p4〜7(見開き2つ分=合計4ページ)
「肥田式強健術」の具体的な実践方法(鍛錬法)について。
できれば、1pにひとつ、または2pにひとつというように、区切れよく、わかりやすい形でご紹介していきたく思います。
【文字数】
1pにひとつの場合、各15字×70行。
2pにひとつの場合、各15字×140行。
※ひとつの鍛錬法につき、写真や図が2〜3点入ることを前提としております。
◆p8
最後のページになります。
引き続き鍛錬法のご紹介をしていただくか、もしくは少し話題を変えて、食養生について指南していただくのもよいかと思います。
【文字数】
鍛錬法の場合、15字×70行(+写真や図数点)。
食養生など、写真や図での解説が不要な場合、15字×90行。
以上が記事の概要になります。
枠組みだけの大ざっぱなもので恐縮に存じますが、具体的にどのような鍛錬法をご紹介していくかなどについて、また改めてご相談させていただければと思います。
・・・・・・以下略
今回、久しぶりに雑誌の記事を書いた。単行本と違って雑誌の場合、文字数が上記のようにあらかじめ厳密に決められていることが多い。しかし、実際に書き始めてみると、特に何の苦労も問題もなく、各パートが規定の文字数できっちり埋まっていくから、我ながら少々感心した。
顧みれば、文字の数で苦心したという記憶が、私にはない。雑誌への寄稿をこれまで数え切れないほど行なってきたが、いつでも伝えるべき内容を要求通りの文字数で表現することができた(文章そのものの出来栄えは別として)。
これは、私にとってはちょっとした驚きだ。というのも、本格的な文を書くための専門的訓練を、私はこれまで1度も受けたことがないからだ。
縁あって、25年前『ムー』誌で強健術と創始者・肥田春充を紹介した寄稿記事が、私の「ライター」としての初仕事だ。当時24歳。それ以前に、まとまった長い文章を書いたことは1度もない。
それでも自信たっぷりに執筆を引き受けたのは、「できる」という奇妙な確信めいたものを、腰と腹の間(腹の奥、腰の前)で感じたからだ。
その前年、私は強健術でいう中心力(体の中で動く心身一元的力)の一端を初めて経験していた。万芸の基礎とされる力。「それが自らの成すべきことである限り、必ず成る」、そうした力強い信念を私たちに賦与する作用。
これは果たしてリアルなものか、あるいは単なる思い込み、妄想に過ぎないのか?
まったく未経験の分野に挑んだのは、それを確かめるためでもあった。
私が初めて書いたパブリックな文章は、400字詰め原稿用紙にして50枚ほどの分量だったと思う。実際に筆を進めていく中でいろいろな発見があり、言葉を組み合わせる面白さも知った。
締め切りの随分前に余裕綽々で原稿を仕上げ、編集長の元に持参した(当時、東京在住)。その場で即オーケーが出て、2ヶ月後には活字となった(『ムー』1986年2月号)。そして、この記事が思いがけぬ反響を喚んだため、「今度は単行本(『鉄人を創る肥田式強健術』)を書いてみないか?」ということになった。
400字詰め原稿用紙250枚を、10万の文字(沈黙としての空白を含む)で埋(うず)める一大事業。しかし、苦とはまったく感じなかった。
私はただ、人間に秘められた未知の様々な可能性について、読者の注意を喚起したかった。私自身が大いに益を得た道を、多くの人に紹介したいと熱願していた。だから、楽しみつつ、活き活きとして執筆作業に取り組んだ。
そんな風にして、これまで6冊の本を上梓してきた(ゴーストライターを務めた『図解 肥田式簡易強健術』を加えると7冊)。著述の専門家にあらざるシロウトとしては、多い方だと思う。
しかし、以前の私は、ただ言葉の羅列を弄んでいたに過ぎなかった。その背後にある言葉の生命(スピリット)というものに対し、私はまったく無知であり、無意識的だった。私にとって書くことは楽しみではあったが、それが芸術的創造の微細粒子的オーガズム(歓喜)へと高められる体験は、1度も味わったことがなかった。
ところが、このヒーリング・ディスコースのシリーズを新たに開門しようとするに当たり、ふと、ヒーリング・アーツを執筆へと意識的に応用してみたらどうかと思いついた。
時に、2007年3月春分。早速、実行。
まず、書くという営みを、様々なやり方で粒子的にほどいていった。それにより、書くことの内にある「空間性」が現われてきた。と同時に、言葉に秘められた呪術的な共感力(言葉の相対原理とでもいおうか)により、言葉を複雑精妙な波紋として使うことができるとわかった。
こうした原理を用いながら書くことで、私独自の新しい文章スタイル(文体)が自ずから現われるようになった。言葉たちが息づき、波打ち、リズムを刻み、踊り始めた!
この体験を機(きっかけ)として、「文(ふみ)」の世界の奥深くへとダイヴする楽しみを、私は覚えた。書くことは即、舞となり、ヒーリング(歓び)となった。奇妙に聞こえるかもしれないが、これまで知らなかったことを書けるようにもなった。
「なるほど、そうだったのか!」と、自分自身の指がタイプしていく文章を読みながら、感心し、快哉を叫ぶなんて、昔の私には想像すらできなかったことだ。
この新境地は、次々と新たな展開を見せながら、今も熟達を遂げつつある。
話を強健術に戻そう。
今回の『ムー』誌の記事では、現代の言葉で、強健術の基礎原理を一般読者に説明することに意を注いだ。詳しくは同誌をご覧いただくとして、その記事に書かなかった(紙幅の都合で書けなかった、あるいは専門的に過ぎて割愛せざるを得なかった)重要事項をいくつか、以下にメモランダムの形式で掲げておく。中心力(根源的ヒーリング作用)獲得のための秘鍵だ。
●(下)腹と腰(腰椎)の間に、人体の重心がある。この重心点とは、いうまでもなく身体の中心であると同時に、様々な神経の交差部という意味において精神の中心でもある。
この神経統合処(腸間膜神経叢)は、迷走神経を通じ脳幹と直結している。
腰腹間に球状の緊張を造り、腸間膜神経叢に圧力刺激を加える・・・と、脳の表面にあった自己存在感(思考の波)が頭の中心にピシャッと納まる感じと共に、考えようとしても考えられない絶対真空意識の中に投げ出される。思考を司る大脳皮質が、脳の中枢として生命機能を司る脳幹の支配下に置かれた状態だ。
●正中心を得る以前の肥田春充は、人体の中心部を解剖学的に定義する際、「尻(を突き出す)」という言葉を使っていない。「尻」が姿勢の要訣として春充によって用いられ始めるのは、正中心体得後だ。
だから、正中心発現の、尻は重要なキーワードと目されて然るべきだが、まことに奇妙なことに、誰もその事実に注目しようとしない。
私がいくら力説しても、あざ笑うか、または聞こえなかったかの如く無視するかのいずれかだ。ディスコースでも尻に関わる修法をいくつかご紹介してきたが、深く探求した人は非常に少ないようだ。
次のような光景が、私の心眼に映じる。
無数の人々が地面の上を這い回りながら、あるものを熱心に探し求めている。そのあるものとは、「至高の価値」が納められた聖なる宝物庫を開く鍵だ。ところがその鍵ときたら、1人1人の尻にぶら下げられているのだ!
●生命の神秘を啓くパスワードが、人々の最も蔑む部位にアッケラカンと描かれている・・・。こういうのを、神の宇宙的ジョークというのだろう。ヒーリングの世界が新しく拓かれるたび、私たちヒーリング・アーティストは、しばしば宇宙的に哄笑する。
ちなみに、人が蔑むもう1つの陰処・性器にも、神なる超宇宙意識へと到るための秘密の扉が隠されている。これについても、そのうち詳しく述べてみたいと思っている。
●尻に着目せよ。尻を目覚めさせよ。尻を活かせ。而(しこう)して歓びに満たされるべし。
尻を目覚めさせるための、私が知る最も効果的かつ効率的な方法は、ヒーリング・タッチだ。別に自画自賛しているわけじゃない。ただ、事実をありのままに述べている。
それに、私はヒーリング・タッチを自分が作ったものとは思っていない。それが、超越的な世界からの贈り物、授かり物であることが、私にはダイレクトに感じられる。そうしたヒエロファニック(聖性顕現的)な特質は、ヒーリング・アーツの全修法に共通するものだ。
「空間性」を触知し、投射するという、手に秘められた未知能力を使い、身体各部を体感的に目覚めさせ、ネットワーク化していく手法、それがヒーリング・タッチだ。
超次元整体術。自己探究(求心)と自己実現(遠心)とが創造的に融合した、21世紀の新たな芸術スタイル。・・・いろんな呼び方ができるだろう。具体的なやり方は、ディスコース各論や『奇跡の手 ヒーリング・タッチ』で詳しく解説してきた。
●意識的なタッチによって促進される自己認知のプロセスを、「覚醒」とヒーリング・アーツでは呼んでいる。
スピリチュアルな覚醒を説く人々が、現在急増しつつあるそうだが、その「霊的な目覚め」がいかなるものか、自ら自由に味わうことができると共に、他者にもその一端を即座に体感させられるようでなければ、その人はいまだに「スピリチュアル」も「覚醒」も知らない。
●誰だって、小さい頃尻を地面や床にしたたかに打ちつけたことがあるのではないか? その時の衝撃が意外にも、現在にまで身体記憶(ボディ・レコード)として尾を引き続け、私たちの尻を無感覚にし、アンバランスにさせているとしたら?
尻は左右に2つある。これを1つと(1つのものの一部が2つに割れていると)当然のように思っているとしたら、すでにあなたは尻を正しく感じていない。強健術で「尻を突き出し、云々」というのは、左右の尻をそれぞれバランス良く使うという意味であって、単一の尻をどうにかしようとすることとはまったく違う。
●タオイズムの古典『黄庭内経』に、「寸田尺宅、生を治むべし」とある。
尺宅、1尺四方の家、体内錬金術の実験室(ラボラトリー)・・・。自らの内丹(正中心)修養の経験に基づき、尺宅とは腰腹統合感覚にほかならぬと、私は考える。
この点、リヒャルト・ヴィルヘルム及びC.G.ユングにより世界に紹介された『太乙金華宗旨(至高なる黄金の華の書)』とは、見解をまったく異にしているといえよう。なぜなら、同書には「尺宅とは面(顔)なり」とハッキリ記されているからだ。インドの偉大なスピリチュアル・ヒーリング・アーティスト、OSHO(和尚ラジニーシ)も、それに同意している(『黄金の華の秘密』)。
『太乙金華宗旨』が記された当時の中国で、1尺がどれだけの長さを意味したかは知らない。しかし、顔を「1尺四方の家(キューブ)」と、果たして形容するものだろうか?
●頭(脳)の中心たる脳幹は、生命の座だ。その意味では、寸田を「生を治める」脳幹、尺宅を顔と見なすこともできよう。が、私の意見、というより体験は、まったく違う。
『太乙金華宗旨』は、尺宅を面であるとした後、さらに続けて次のように述べている。
「前略・・・・方寸の中に鬱羅たる蕭台の勝、玉京の丹闕(たんけつ)の奇、乃至は至虚にして至霊の神の住む所を具有す」・・・尺宅の中心たる方寸(寸田)に、榊茂る斎(いつき)の沙庭の神々しい様、宝玉の都の深紅の広間の驚くべき様子、あるいは最も空虚で最も神秘な生命力に溢れた意識の住む場所が、すべて多元的に備わっている。
「ひとたび光を回(めぐ)らせれば、身を周(めぐ)る気は皆、朝(ちょう)に上(のぼ)る。聖王の都を定め、極を立て、玉帛は万国に執るが如し。また、主人は清明にして、奴婢は自然に命を奉じ、各々、その事を司るが如し」・・・光を四方八方同時にあまねく行き渡らせると(体内空間の全方向が同時に意識されると)、全身のあらゆる部分が自ずから1つの中心を戴くようになる。ちょうど、神王が聖なる都を建設し、そこを中心として上下、前後、左右の方向性(従うべき節度)を定め、すべての国が貢ぎ物を携えて朝貢するようなものである(五気朝元)。あるいはまた、主人の心が落ち着いて澄み徹っていれば、召使いたちは進んで主人の命令に従い、各自の仕事に孜々(しし)としていそしむようなものである。
・・・・これらはいずれも、腰腹間に内的に結ばれる球状緊張を全身の中心に据えた際の、心身のあの高度な統合感覚について述べているものとしか、私には思えない。「主人は清明にして・・・」とは、人体重心部のみで見出される絶対不動の感覚を表わすものだろう。すなわち、動中において求むべき「静」の極致だ。
この境地において『太乙金華宗旨』を「観る」と、「尺宅とは面なり」の一句だけが、妙に不自然に浮き上がってくる。あるいは、後世の附会なのかもしれない。速断は避けねばならないが。
●腰腹の統合的意識化が進むにつれ、その中央で球状の圧力が結ばれ始める。最初は不定形だ。そして、またしても奇妙に聞こえるかもしれないが、黄色(金色)を、私は腰腹間でしばしば「感じる」。中国の五行説で「中央」の色が黄とされることにも、実は意味があるのかもしれない。
心身修養のプロセスにおいて、鉛が黄金と化すメタファーが洋の東西にある。私の実感によれば、生きた金属が光に昇華した、とでもいおうか。艶めかしいほどの円滑さ、磨き抜かれた純金に反射する光のような質感を備えた内的流動。そういう状態を、腰と腹を基盤として全身姿勢を整え、動く時、私は身の裡で生理的に体感する。
黄色の庭(黄庭)に、黄金の華が無限の多層性(花弁)を具えて咲き誇り、エクスタシーという芳香を放って極微細粒子的に打ち震える。その真ん中に中心種子あり。これを金丹という。不老不死の根源世界へと通じる扉。賢者の石。
私は、今こうしてこの文章をしたためつつ、黄金の華を我が身の裡で実感しつつある。
●強健術とは、満身を以て結ぶ印契(いんげい:神明との盟約証)。身体を以て行ずる生命の神聖幾何学。
・・・・・・・
あまり遠くへ行き過ぎるのは、今はやめておこう。
『幕間2』はこれで納める。中途で雑誌寄稿へと精力を振り換えたため、当初予定していた内容の数分の1程度しか取り扱えなかった。が、ご紹介してきた要訣や修法は、いずれも非常に重要なものばかりだ。
『ヒーリング・アーティスト列伝』第2章では、田中守平(たなかもりへい)を取り上げる。ヒーリング・アーツの源流の1つ、太霊道(たいれいどう)を創始した人物だから、彼の登場を楽しみに待っていた人も多いだろう。
——幕間2・終——
<2009.12.22 冬至>