Healing Discourse

ヒーリング随感2 第5回 粒子感覚、再び

◎「オープン練修会参加者の中に、粒子感覚がよくわからないと言う人(初心者)がいた」とか「どんな風にすれば、我々のように感じられるようになるのかと尋ねられた」といった報告を、友人たちから最近しょっちゅう聴くようになった。
 思えば、私自身も「わか(り始め)る」まで随分長くかかっている。「それ」は常に「そこ」にあったのだが、全然気づけなかった。
 粒子的とそれを言語化し、体感・体得のための実際的方法論であるレット・オフへと結晶化し得たのは、つい最近のことだ。探求の道へと旅立ってから、実に20数年の歳月が流れている。
 才能乏しき私は、霊性の道[スピリチュアル・ウェイ]における師も持たず(自分に合う師を見出せず)、まさに這うようにゆっくりと、回り道を繰り返しながら、暗闇の中を手探りで進んできた。

◎スマートな(頭と要領がいい)人たちが、すぐ「わかり」、「できる」ようになることを、私は10〜20年もかけてようやく理会し、体得することができた。
 今、心静かに顧みて、自らの来し方を後悔する気持ちはまったくない。
 しかし、後に続こうとする人までが、私と同じような迂遠な道のりを歩む必要も、まったくないのだ。私が長年かけてエッセンス化してきた<生[せい]の要訣>を活用すれば、最小の努力で最大の効果を、最短時間の内にあげられるからだ。
 これまでの経験によれば、熱心な人の大半が、半年〜数年くらいで、充分に「感じ・動ける」ようになっている。そうやって基本を早々とマスターしたなら、余剰の時間とエネルギーを各自が興味ある方面へと最大限に注ぎ込み、オリジナルな<道>を切り拓いて行けばいい。私の元で学んでいる人は、皆そうやって独自の道を探求しつつある。
 
◎レット・オフとは、生命力の粒子的熟成を導く術[わざ]だ。
 折口信夫(おりぐちしのぶ:1887〜1953。民族学者、国文学者、国学者)によると、冬とは「御霊の増[ふ]ゆ」であるという。世界が凍てつき動きが封じられることで、外へ外へと広がっていこうとする生命本来の外向性が、内向して波動的にくるりと引っ繰り返り、粒子的生命力を微細レベルで多層化・多元化していく。
 静中求動によるレット・オフの本質を、ズバリ突いた説明といえる。折口のいう御霊[みたま]こそ、私が超微細粒子と呼ぶものにほかならない。

◎生命の本質である粒子感覚が、充分感じられないのはなぜか?
 はなはだ失礼ながら、それはあなた方の心と体が固いから・・・そのようにお答えするしかない。
 柔らかで瑞々しいフレッシュな心と、水と火の両方の性質を兼ね備えたしなやかな体を取り戻すにつれ、粒子感覚はごく自然に体感されるようになる。
 古代中国人は、沸騰により発生する蒸気を、粒子感覚のメタファーとして用いた。私自身の実感によれば、気体をさらに超えるプラズマの如き力の充実が、微粒子1個1個の裡に秘めやかに隠されている。超微細なレベルで、放射性を帯び、帯電している感じ。
 これこそ、古人のいわゆる「気」なのかもしれない。

◎体の中で感じる曖昧でかすかな流動感、皮膚がちょっとチリチリする微弱電気感、磁石の同じ極同士が反発し合い、異なる極同士が引きつけ合うような軽い磁気感・・・。この程度の体感をもって、気について理会したと、かつての私は誤解していた。
 
 22歳頃、知人を病院に見舞った際のことだ。
 中国武術で敵の体内に衝撃波を打ち込む要領を、穏やかな呼吸を使い、柔らかく運用すれば、ヒーリングへと応用できると、突然「わかった」。
 早速試してみる。・・・と、「気持ち良くて楽になる」となかなか好評だ。
 ものは試し、害はなかろうと、同室の入院患者全員にも勧めて行なった。
 そして、いずれの人からも非常に感謝され、感激された。
 ある老婦人などは、関節リュウマチで何年も曲がったままになっていた膝が、その場で伸びたと大喜びだった(施術時間10分程度)。
 知人から後日聴いた話では、その時以降部屋の雰囲気が一変し、同室の人たちも皆元気が出てきて、ある人は早々に退院していき、2年も入院生活を送ってきた別の人も退院を検討され始めるなど、著しい変化が起こったという。知人自身も、1週間ほどで退院した。

◎今ならハッキリわかるが、その時、私の体感は粒子モードへと一時的に移行していた。体も心も、マッス(固まり)として存在することをやめ、微細に振るえる粒子へと分解されていた。
 が、そのことに気づく余裕は、当時の私にはなかった。瞑目したまま眼前で展開される、極彩色のマンダラ的ヴィジョンの炸裂に、すっかり注意を奪われていたからだ(そういう体験も初めてだった)。

◎粒子感覚の重要性が真に認識できたのは、8年前90日間の連続断食を断行した際だ。
 長く食を断てば、体に入る力がどんどん小さくなっていく。つまり、毎日少しずつ、脱力が自然に起こっていく。
 ある日、何気なく床につけた手を感じていた時、ひとまとまりの固まりとしての手全体の感覚を、バラリと粒子分解できると気づいた。最初は、直径1ミリ弱くらいの大きな「粒」だった。
「力を抜いてリラックスする」とは、それまでの私にとって、「力みを体の外に流し出す」ことを意味していた。それで充分な効果をあげることができていた(と誤解していた)。
 ところが、「力を抜く」ことを、「固まりが粒子の集合体にばらける」と認知シフトした・・・途端、その粒子の海に、自由に凝集・拡散の波を起こせるようになった。凝集のエッセンス、拡散のエッセンスが、我が手の裡で自在に踊る。
 自分がとてつもない叡知を手にしたことが「わかった」。
 小さく粒子的な認知法を通じ、人のあらゆる認識のモードを変え、自他の心身に対して大きな影響力を振るえるようになる・・・と。
 これは、人をいやすことにも、人を呪うことにも、同じように使える力だ。

◎小さく、柔らかく、ゆっくり(自分にとって心地よく自然に感じられる範囲の最低レベルで)・・・極めて細心の注意を払いつつ、感じ動いていく。任意の地点で立ち止まり、細かくチェックし直してから再び動きに入ることを、頻繁に繰り返しながら。
 
◎粒子感覚をさらに細かくするには、凝集してレット・オフするか、引き伸ばしてオフにするか、この2通りのやり方を知っておけば、とりあえず充分だ。
 凝集から入る手法については、第2回で蓮華掌の一法として説いた。
 引き伸ばしてオフというのは、例えば、かしわ手を打って粒子感覚(しびれ)を活性化させた掌の皮膚を、そっと全指をごくわずかに反らせ(ようとす)ることで張り、その反(らせようとす)ることをレット・オフする。・・・と、掌の粒子感覚が一気に細やかに、秘めやかに変わる。
 極めてかすかなレベルで、賑やかに振動し始める。これが我々のいう<たまふり>だ。
 <たまふり>を様々な方法で繰り返し行なうことで、粒子感覚は、どんどん繊細になり、局部から全身へと拡がっていく。
 皮膚面の浅いレベルから始まって、層状に奥へ奥へと浸透していく。

◎本気で、直ちに、粒子感覚を会得したいと思う人は、1ヶ月くらい断食するといい。必ずや偉効ありと保証する。
 それくらいやってようやく悟れるような内容・実質を、私は楽行(ヒーリング・アーツ)という形で人々と分かち合っている。
 その場合、断食するよりもう少し時間はかかる。が、安全に無理なく、効率的に学び、修得していける。
 
◎粒子感覚を精細に高める(全心身の感性をあげる)方法は、いろいろある。
 次回も、それについて語っていこう。

<2010.05.11>