前略
形式的な、命の通わぬ挨拶文を並べ立てることは、敢えていたしません。
20数年前、中国武術を約1年半に渡り親しくご伝授いただいた高木一行です。お久しぶりです。
その後長らく無音[ぶいん]に打ち過ぎましたが、かつてお教えを受けた日々は、青春時代を彩る貴重かつ楽しい一時であったと、今も変わらぬ感謝を先生に捧げております。
今年初めに久しぶりに著わしました同封の拙著(ご笑納下さい)においても、先生について少し触れさせていただきました。改名されたことをつい最近まで存じ上げなかったものですから、大変失礼致しました。改訂版上梓の運びとなりましたら、直ちに改めさせていただく所存です。
過去およそ10年間というもの、世間との接触をほとんど断ち、ごく少数の熱意ある人々と共に、ひたすら自己修養の道を邁進してまいりました。世事にもすっかり疎くなり、今誰が日本の総理大臣をやっておるのか、それすら私は確信を持って述べることができません。
テレビ・新聞・雑誌も遠ざけ、健康法とか武術関係の本などは一切読みません。無理にそうしているのでなく、まったく興味が湧かないゆえに自然とそういう生活になりました。
先生におかれましては、その後ますますご精進に励まれ、ご進境著しきこととお察しします。
不肖私も、鈍才にむち打って這うように進み続けてきた結果、自己世界が日々更新される驚くべき自在境を、最近になってようやくですが、少しずつ味わえるようになってまいりました。実に有り難いことと、天地神明に対して無限の感謝を捧げるのみです。そして50歳を間近に控え、「さて、これから何か、外に向けた活動でも本格的に始めようか」なんて、呑気に友人たちと語り合っているところです。
書かぬと最初にお断りしたはずの前置きが、スッカリ長くなってしまいました。
心身錬磨を人生の最重要事・最根本事に据える生き方を30年近くじっと継続してきて、探求の旅路の苦労も歓びも、様々に味わってまいりました。そういう生き方を貫いている先輩たちの1人として、先生を今も変わることなく尊び、敬愛しています。
こうして筆を取るまでに少し時間がかかりましたが、いざ心の裡なる想いを素直にしたため始めると、四半世紀(!)の隔たりも瞬時に消え失せ、かつて先生に導かれて熱心に、真剣に、鍛練に励んでいた頃の実感が甦ってきます。燃え上がるが如き探求心は、今現在に至るもいささかも鈍り損じていないことを、喜びを込めて、ここに先生にご報告させていただきます。
さて、今回唐突にお手紙を差し上げたのは、兵庫県宝塚の○○○○先生からご連絡いただいたことがきっかけです。
「私信の内容を漏らすなど元来礼を失すること甚だしいのだが、何しろ内容が内容なので・・・」と幾度も断られた上で、先生が○○先生に最近出されたお手紙を観せていただきました。
ちなみに○○先生とは10年ほど前に初めてお会いして以来、他者を介して間接的におつき合いがありました。つい最近も神戸で久方ぶりに再会し、修養の道談義に時間を忘れ花を咲かせてきたところです。
先生はもちろん私を誹謗中傷するつもりなど毛頭なく、「たとえわずかな期間とはいえ、かつて自分が教えた者がこんな情けないザマに落ちぶれてしまったとは・・・!」との義憤に駆られてのこととお察しするのですが・・・、
遺憾ながらよくお聴きください。「私の元弟子」なる者が先生に告げたという内容は、最初から最後までことごとく出鱈目です。私はこれまで、麻薬を売ったり使ったりして警察沙汰を起こしたことなぞ1度もなく、困窮して家を売り払ってもおらず、行方不明になってもおりません。・・・ので、ひとまずは、ご安心願います。
そもそも、私には弟子など1人だっていやしません。真実と嘘を巧妙に混ぜて突き固めるならまだしも(それが一番悪質なデマゴーグですが)、すぐに嘘とわかる出鱈目ばかりを先生のお耳に入れた者の真意が、私にはとうてい計りかねます。
とはいえ、その人間がもし、過去に私といささかでも関わりを持つ者であるのなら、厳しく叱責し、正しい道を指し示してやることが私の責務ではないかとも感じます。この粗忽者の氏名がおわかりでしたら、ご面倒をおかけして恐縮ですが、ご一報下さい。善処いたします。
いずれにせよ、先生ほど人をよく観、深く識ることができる達観の士であれば、嘘八百を並べ立てる軽々浮薄の人間と、かつて師弟関係に近い絆を結んで教え導いてくださった私と、いずこに「真(まこと)」があるかは、直ちに看破されて然るべきでした。その点、遠慮会釈なく、申しあげさせていただきます。
大体、自分がかつて頭(こうべ)を垂れて教えを受けた当の相手を、その後の関係がどう変化したにせよ、あれこれ悪し様に吹聴して回るとしたら、そんな野郎はどう考えたって性根が腐っているに違いありません。そんなことは、先生なら百もご承知のはずです。そういう奴に限って、今度は先生の悪口を他所で触れ回っているに違いないのです。
翻って、私の周囲にいる人々の誰であれお尋ねいただければ直ちに明らかになることですが、私はこれまで先生を批評し、あるいは批判するが如き言辞を弄したことは、ただの1度もありません。これは常に気をつけてきたことですから、即座に、自信をもって断言できます。
かつて先生より学んだ内容については、現在の私は少しく異なった意見を持つに至っておりますが、だからといって親身にご指導いただいた術(わざ)の数々が、いささかなりとその価値を減ずるとは思っておりません。
守・破・離のプロセスを突破せず、教え伝えられたものをいまだにそのまま後生大事に守り抱えているとしたら、それこそかえって先生のご不興を買い、いかに叱り飛ばされてもぐうの音も出ないところであったでしょう。
さて、簡単なご挨拶に留めおくつもりが、覚えず長々と書き連ねてしまいました。先生にご不快な思いをさせたなら謝罪しますが、ニコリと笑って軽く受け流していただけるものと信じます。
つまらんことがきっかけとはいえ、こうして先生と再び道が交わり合うきっかけを図らずも作ってくれたのが、かの「嘘つき君」であることを思えば、縁(えにし)の不思議さを賛嘆せずにはいられません。
ご縁を活かすも殺すも人次第と申しますから、先生とのこの新たな出会いを大切に育んでいきたいと祈念しています。
これから新しい活動を始めるといっても、具体的な計画は何一つ立てていませんが、幸い共鳴者を得て、「ヒーリング・ネットワーク」なる任意団体を立ち上げたことだけを、ご報告しておきます。ウェブサイトも現在準備中です(http://www.healing-network.com/)。
いやし——この言葉にオリジナルな意味を付与して自分自身の術(わざ)として使いこなせるようになるまで、実に艱難辛苦に満ちた道のりを歩んでまいりました。ヒーリングの絆を多層的に人々との間で結んでいき、ひいては社会全体の活気を高めていこうとする・・・。形式方法は異なれど、先生がこれまで実践されてきたものと、私がこれから目指そうとするものとでは、本質において大きな差異はないものと信じます。
○○先生には、私たちの新しい会の顧問をお願いし、幸いご快諾をいただきました。
先生にもゆくゆくは顧問をお願いしようかと、今こうして書いていて思いつきました。もちろん、我々の活動を今しばらく見守っていただき、その内容をご理解いただいた上で、ということになりましょうが、お心の片隅にでも留めておいていただければ幸いです。
先生のために、今すぐ私がお役に立てることといってもあまり思いつきませんが、先生が○○先生に申し出られた『宇宙倫理の書』の草稿に関する件は、私が○○先生から一切をご一任いただき、すでに電子化の作業を済ませてあります。ご研究等に必要でしたら、いつでもご用立ていたしますので、ご遠慮なくお申し付けください。
その場合、申し上げるまでもなく版権等の問題がありますので、先生及び先生が信頼される個人的グループ内に限ってのご活用をお願いします。また、すべては○○先生のご好意とご信頼によるものであることも、ここに改めて銘記させていただきます。
そういえば、先生が肥田式強健術の後継者になられていると今回初めて聞き及び、少々驚きました。有名無実のくだらん「肥田式」の看板なんぞ、先生ほどの方には無用の長物としか思えませんが、もちろん私などには窺い知るあたわざる深謀遠慮が、先生にはおありなのでしょう。
私自身は、肥田春充に大いなる敬意を捧げつつも、中心力を実際に体現するための方法論及び基礎原理については、春充の「不正確かつ曖昧」な説明を踏み越えた世界へと、勇躍、斬り込んでいきつつあるところです。
新たに得られた知見と体得については、秘匿して独占することなく、後進及び同道の人々の参考用として、今後発表の場を得られれば広く一般に公開しようと考えています。
先生のご近況につきましては、インターネット上で断片的な情報をわずかに得たに過ぎません。が、共感を寄せる誠実な人々に、先生も恵まれていらっしゃるご様子を拝察し、慶賀の想いに耐えません。
道縁とは、まことに尊く、有り難いものであると、私も今、つくづく感じます。肥田春充の絶望も、世界との絆が完全に崩れ落ちてしまって修復不可能となった時、招き寄せられたのですから。
ところで話は変わりますが、肥田春充の最も価値ある遺産の1つに、春充が樹下石上の瞑想を凝らした、あの座禅石が含まれることは、先生ももろ手を挙げてご賛同くださると思います。先日○○先生がおっしゃっていたのですが、石はある種の記録装置として機能することがあり、肥田春充のような人がその上で正中心を錬り鍛えていた石ともなれば、いかばかりの霊的情報を蓄えているものか、想像もつかないとのことでした。
この座禅石は、かつて八幡野で春充によってピタリと正確に据えられた、その絶妙の角度を忠実に保ったまま、某所に密かに移され、現在、心ある人々の手で厳重に守られているといいます。この座禅石の後事一切を私に託したいとのオファーを、最近受けたばかりでした。
書き始めると本当にキリがないので、ここで筆を納めます。
ご自愛専一に、などとは馬鹿馬鹿しくって書く気になれません。
お元気で! お元気で!! 感謝と敬意と、ねぎらいを込めて。
草々
○○○○○ 様
2009年7月7日 小暑・七夕
ヒーリング・ネットワーク 高木一行
<2010.07.07>