Healing Discourse

ヒーリング随感2 第22回 ジュンパ・ラギ

◎先般訪れたバリ島では、野良犬があちこち徘徊しているせいか、猫の姿をほとんどみかけなかった。聴くところによると、神の使いとして家の中で大事にされているのだそうだ。
 バリ島で滞在したリゾート・ホテルやウブド王宮内で出会った猫は、話しかけても耳をぴくりとさえ動かさず、さっさと行ってしまわれた。
 人間のマレー語とインドネシア語は共通点が多いが、猫の場合は全然違うのかもしれない。
 私はマレーシアから連れ帰った愛猫と20年間暮らしたので、マレー猫語なら話せるのだが。

◎巡礼地からの帰途、サバ州第2の都市・サンダカン(山打根)に立ち寄った。そこの人々はびっくりするくらいフレンドリー(馴れ馴れしいという意味にあらず)で明るく、猫も同じく人懐こい。

 サンダカン中央市場の裏手で昼寝していたこの白黒猫は、ゆっくり近づいていっても、話しかけても、しまいには体をそっと撫でても、このポーズで気持ち良さそうに熟睡したままだった。猫好きの人ならよくおわかりだろうが、よっぽど人間を信頼してないと、こうはならない。猫をいじめる者が誰もいないのだろう。

 市場[マーケット]の食肉コーナー通路をどこかへ早足で急ぐ猫に、マレー猫語で話しかけたら、すぐ返事が返ってきて、2、3挨拶の言葉を交わすうちたちまち意気投合。神明流ヒーリング・猫マッサージをたっぷりサービスした。
 猫があんまり気持ち良さそうにしているから、まわりに見物人がたくさん集まってきた。

@サンダカン中央市場:魚を売る少年。こんな純粋な瞳を、サンダカンでは大人たちの目の奥にもみつけることができる。初めて訪れたのに、どこか懐かしいところ——。そんな風に感じる場所が、マレーシアにはたくさんある。

◎ところ変わって、こちらはマレーシアの首都・クアラルンプール(吉隆波)、チャイナタウンの一角。
 気の合う猫となら、楽しく一緒にヒーリング・アーツを練修することもできる。猫語でソフトに語りかけつつ、両手で「ふるへゆらゆら、ゆらゆらとふるへ・・・・」とやれば、やがて相手はそれに合わせて舞い始める。
 掌で引いて立たせるもよし、視線で押し伏せさせるもよし。ごろごろ、にゃんにゃん、回転も自由自在だ(一切ノータッチ)。さらには、私が右と思えば右を向き、前と思念すれば前を向く。これぞ秘技「猫の妙術」なり(冗談じゃ)。

◎ちなみに、佚斎樗山[いっさい ちょざん]・作『猫の妙術』を、武道の極意書と誤解してありがたがる人々が、山岡鉄舟以降、少なくないという。鉄舟居士は樗山と共に、あの世で大笑いしているに違いない。
『猫の妙術』を語るなら、佚斎樗山の他作品も読まないとダメだ。いわく、『鴎蝣論道(カモメとカゲロウが道[タオ]を論ずる)』『蟇[ひきがえる]之神道』『木菟自得(みみずくの悟り)』『ムカデと蛇の疑問』『古寺幽霊』・・・・・。これらはすべて、近世中期の老荘思想流行を背景に、庶民教化・童蒙を目的として書かれた「戯作[げさく]」だ。
 大森曹玄氏(明治37年~平成6年。禅師・剣術家・著述家、花園学園学長)によれば、鉄舟は他の武術伝書はどれでも気軽に人にみせたのに、『猫の妙術』だけは秘してなかなかみせようとしなかったという。私が思うに、ジョークがわからん奴にみせても面白くないから、ただそれだけのことじゃなかろうか?
 臨終の山岡鉄舟を見舞った勝海舟が、正装した弟子たちがズラリと居並び沈欝に沈み込んでいるのをみて、「お前たちはこの後に及んで、まだ鉄舟を苦しめるつもりか!」と一喝したという。むべなるかな、だ。

◎そういえば、こんな珍事もあった。
 明日はマレーシアを去るという最後の晩、クアラルンプール最大の繁華街、ブキッ・ビンタン通りに面した大型ホテルでの出来事。
 深夜、いきなり部屋のドアが開けられ、内側のロックに勢いよく引っかかって止まった。
 その瞬間、完全に目を覚ました私は、ベッドから音もなく滑り出て、死角に身を潜め、侵入者を迎え撃つ態勢を整えた。昔、武術修業の一環としていろんな特殊訓練をやったことが、こういう思いがけないところで役に立つ。
 そのまま静かに気配を伺っていたが、無理に押し入ってくる様子はない。慎重に状況を確かめ(ドアは半開きのまま放置されていた)、廊下に誰もいないことを確認してから、そっとダブルベッドに戻った。
 となりで寝ていた妻は、何も気づかず穏やかな寝息を立てている(翌朝、私から話を聴いて初めて驚いていた)。
 長年に渡る強健術(神勇禅)修練の賜物か、全然ドキドキしてない。心も体も、普段通りゆったりしている。たちまち、元の熟睡へと沈み込んでいった。
 こうして書いていて、自分もまだまだ未熟だなとつくづく思う。熟睡したまま押し込み強盗にズブリとやられ、自分が死んだことにも気づかない、そういう境地を、私は新たに目指し始めたところだ。
 ところで、あれは一体全体なんだったのか、実は今でもよくわからない。
 翌日、ホテルの警備主任を問い詰め、驚くべき話を聴かされた。
 ドアの鍵は電子式のカードキーだから、特定の人間(滞在者かホテル関係者)にしか開けられないはずだ。が、ある方法により、自分の部屋のカードキーでよその扉を開けることができるというのだ。詳しいことは記さないが、私もその「秘密」なるものを教えてもらってあきれ返った。強く抗議しておいたから、今頃はもう改善されていると思うが。

◎ジュンパ・ラギ(Jumpa lagi)。
 マレーシア巡礼へと旅立つ直前、妻がこのマレー語を今回の旅のキーワードとして選んだ。グッド・チョイスだ。
 私たちは旅の間中、ジュンパ・ラギという言葉を、いろんな人たちと積極的に交わすよう心がけた。口先だけでなく、下腹の奥から。腰というモジュレーター(調節装置)を中心として。
 また会いましょう、またね、またきっと・・・。
 むっつり押し黙ったこわもての巨漢の顔に、ジュンパ・ラギのたった一言が、幼子のように純粋で柔らかな笑顔をぱあっと花咲かせる様は、見物[みもの]、というよりは見事(美事:みごと)というほかなかった。
 ジュンパ・ラギと、心を込め口にすればするほど、その言霊が私たちとマレーシアとの絆を深め、強めていくようだった。
 マレーシア・・・ジュンパ・ラギ。

@コタキナバル、行きつけのクダイ・コピ(喫茶・軽食店)前で。一緒に写っているのは、ちょうどその場に居合わせた見知らぬ人。This is Malaysia!

<2010.09.25 雷及収声(らいすなわちこえをおさむ)>