Healing Discourse

ヒーリング随感5 第2回 波紋の出会い 高木一行

◎先日、第2回龍宮拳研究会(オープン)を執り行なった。
 急きょ開催が決まったため、本ウェブサイトでの通知が開催数日前という慌ただしさだったが、ヒーリング・ネットワーク同志以外に群馬、兵庫、福岡から3名も参加者があり、そこまで熱心に私たちの活動を観守り、共感してくださる(マニアックな)方々がいらっしゃることに驚くと共に、胸が熱くなった。
 私とは初対面で、まったく初めて龍宮拳(ヒーリング・アーツ)を体験する部外者たちを交えての第2回龍宮拳研究会の模様を、例によって妻が撮影した。
 その一部を、分かち合いの祈りを込め、ご紹介していく。

 これは、研究会冒頭のシーンだが、龍の台[うてな]をちょっと練修しただけで、初心者相手にいきなり組み手や手合わせに入っている。研究会に臨むにあたり、私はあらかじめ何も考えない。何も計画してない。あれこれ詳しく説明したりもしない。ただ、身体を通じ、波紋によって対話(体話)してゆくだけだ。そのような触れ合いの中で、相手の身体のどこがどのように強張り、流れが滞っているかを瞬時に感じ取り、相手にとり無理のない範囲内でほどいていく。
 最初は緊張や警戒心でガチガチにかたまり、腰が引けていた初参加者たちも、少しずつ少しずつ、無理なく波紋を往還・交流させていくうち、徐々に「水」と化し、自然に「波紋」を舞えるようになっていった。
 そうした変化にも注目しながら、一連のムービーを観照していくと面白い。
 ヒーリング楽曲は、高木美佳作『レインボーズ・エンド』と『カニのワルツ』。

◎ヒーリング・アーツの観点より、私に託された「世界への特別な貢献」とは何か、を問うてみる時、しょっちゅう脳裏に浮かぶインスピレーションは、<焼き物>だ。
 ヒーリング・タッチを使えば、新たな陶芸の道を切り拓くことが・・・できるのではないか?
 それにしても、市販の陶器類、特に食器の、あの薄っぺらな均一さは、一体どうしたことだ? 
 機械、または機械のような人間によって作られている、と「感じ」られる。
 このところいろいろ実験しているのだが、器によって同じ食べ物の味が明らかに変わる。飲み物もそうだ。

◎ムービー2

 武術で何かやっているのじゃなく、私と参加者が一緒に舞っている、と認知を改めてみると、全然別のものが観えてくる。
 龍宮拳では、舞うことが即武術のわざとなる。
 舞即武のコンセプトは、本部御殿手宗家・上原清吉先生より学んだもの。具体的手法はまったく違うが。

 ヒーリング楽曲は『シャーク・ブレード』。
 ムービー鑑賞のコツは、帰神フォトと同じく、画面中央に視点を定め、目の形はそのままで、視点を変えず、まばたきせず、ただその視点を四方八方から集約するように「見つめる」ことのみを、強調→レット・オフする。
 その「観の目」の状態を、できるだけ長く保ちつつ、ムービーを観ていくと面白い。
「水と化し、波紋を舞う」と私が言う意味が、生理的実感としておわかりになるだろう。

◎ムービー3

 ヒーリング楽曲は『アンコール・ワット』。
 これらの武術的な舞の一瞬一瞬において、私は手にも腕にも肩にも首にも背中にも胸にも、一切能動的な力を加えてない。
 私が相手を押しているように見える場面でも、全然力を入れてないし、何もやってない。
 そんな時、私は「押している」のではなく、ただ相手から「引かれる」がままに随っているだけだ。

◎マレーシアの高原リゾート、キャメロンハイランドで栽培される特別な紅茶が手に入ったので、マレー式ミルクティー「テー・スス」を作った。
 コンデンスミルクと合わせるのだが、キャメロンハイランド産の紅茶でないと、マレーシア中どこでも普通に飲まれている「あの味」には決してならない。
 女心をうっとりとろけさせる馬来[マレー]の甘美。

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<2013.01.27 水沢腹堅(すいたくふくけん)>