Healing Discourse

ヒーリング随感5 第8回 密珠 高木一行

◎前回ご紹介した第4回龍宮道研究会のムービーだが、あそこに映っている参加者の1人が、直前までぎっくり腰の痛みで苦しんでいたときかされても、にわかには信じがたいかもしれない。かなり元気に、活発に、バネみたいに波打っている「あの人」が、そうなのだが。
 後日、本人に健康状態を確認してみたら、研究会であれほど激しく動いても、まったく痛くなく、むしろどんどん全身が柔らかく、気持ちよくなっていった、とのこと。ムービーを観て、あそこまで激しく動いていたとは、と自分でも驚いたそうだ。
 龍宮道の波紋がどれだけ自然[ナチュラル]で、調和的かがおわかりだろう。
 それは人を傷つけることもできるが、むしろ「活かす」道を指し示す。いわゆる活人拳だ。
 活人拳(剣)とは、武術の原理を応用して身体の故障を治療することとは違う。
 龍宮道が人の何を活かすかといえば、本人も知らない秘められた才能を含む、あらゆる可能性を、だ。ゆえに、それを<道>と呼ぶ。

◎「帰神フォト」「帰神撮影」などと私たちが言う際の「帰神」とは、神が人に降りて託宣を下すといった古神道系の定義とは若干ニュアンスが異なり、超意識状態(右と左、正しいと間違い、などの2元対立が存在しない絶対世界の基礎意識)にて、(常々の祈りに応え)自然発生的に顕[あら]われ出る<動き>の方に、むしろ重きを置いたものだ。
 両手を合わせ、かしわ手を打つ。そして心静かに待つ。
 すると、「それ」が起こる。
 マニアックな方々は我々のかしわ手の音[ね]がここ最近変化したことにお気づきだろう。この新しいヴァイブレーション(波長)によって、従来の初級レベルよりもさらに奥深い繊細な層まで働きかけることが可能となった。指先を叩き合わせて繊細なヴァイブレーションを阻害「しない」ことが、コツだ。
 最近、龍宮道修養者の間で話題になっている手足の「密珠[みつじゅ]」も、新かしわ手によってジェネレート(活性化)したヒーリング・タッチによって覚醒する。
 この密珠というのは、水の原理に基づいて全身の統合を飛躍的に高める急所のようなものであり、身体運動において球状に感じられるため、「一般には知られていない球状の急(球)所」という意味で、密珠と仮称している。最初に習うものは掌底部と足刀部に左右一対ずつ、合計4つだ。略して4密珠、と、以下にご紹介するムービー中では呼んでいる。

◎第5回龍宮道研究会を、先日執り行なった。
 プライベート道場の天行院には神棚すらないが、おごそかな神事を執[と]り行なうのと同じ、敬虔な態度・姿勢にて、私たちは毎回の研究会に臨んでいる。
 もちろん、堅苦しいのは一切抜きだ。決まり切った方式とか価値観といった枠組みの中に、人を押し込めようとすることもしない。そういうのは「水」の原理に反する。
 その研究会の模様を、例によって妻が撮影した。本来の再生環境である3D画像とは比較にならない粗雑さ、小ささ、情報量の少なさで恐縮だが、以下にその一部を参考資料としてご紹介する。

 ヒーリング楽曲は高木美佳・最新作『水字貝』(シェルコレクション・シリーズ#3)。

 これは研究会の冒頭部分。ムービーの1と2は一続きの場面だ。
 撮影に入る前に、足の外側サイドにある足刀密珠を伝授した。解剖学的に言うと第5中足骨粗面。それを球状に意識し、球状に運用する。
 ここで言う「伝授」とは、その位置を解剖学的に示し、その意味を解き明かし、1人1人の密珠を私がヒーリング・タッチにより覚醒させていくことを意味する。「覚醒」とは比喩的・抽象的な意味ではなく、受け手自身が生理的にハッキリ自覚できるものだ。身体運動にも顕著な変化が直ちに起こる。
 密珠伝授の後、1人1人と手合わせしながら、各自の全身を様々に調律していこうとする。そこのところから、場面が開ける。

 後半部分、私が多数に対し、あたかも空間を介し波動を伝えて舞わせているかのごとき場面が出てくるが、あれは空間ではなく、触れ合っているところを通じて身体内の波紋が伝わっているのだ。外側へ向け波動が出ているという認知を、該当場面を観の目で観ながら、強調→レット・オフしてみると面白い。
 まったく別の世界、波紋により成り立っている世界がみえてくる。

 

 ムービー3では、撮影の合間に伝授した手の密珠(豆状骨。これも球状に意識・運用する)の使い方が、実伝にて伝授されていく。
 何も考えない。何もしようとしない。ただ全身的レット・オフ状態に委ね続ける。
 すると、ツツツーと機械的にすべり、とまり、勝手にあちこちがどうにかなってバランス関係が組み替えられていき、相手は自然に流れ崩れ落ちるように転び倒れていく。時に、奇っ怪あるいは面妖なほどのゆっくりさで。
 とにかく、自由にして自在だ。一連の研究会を重ねてきた成果が、自分自身の驚くべき熟達(!)という福果となって早速現われようとは、まったく予想も期待もしてなかったことだ。実にありがたいことである。私のこのありがたいという気持ちは、もしかすると宗教的感情に通じるものかもしれない。
 昔、セミナー形式で教えていた頃、ある参加者(某合気道流派の師範、と後で知って冷や汗)から、「こんな情熱的な指導をかつて受けたことがありません。こんなに感動したことはありません」とのお言葉をいただいたことがあるのだが、なるほどそう言われてみれば情熱的かもしれぬと、最近ムービーをチェックのため観ていて、初めて気づいた。

◎研究会において、私は身体を通じ参加者一人一人とコミュニケートしている。
 言葉による説明は、単なる補助的なものにすぎない。
 指先と指先とで触れ合っているだけで、相手身体のいかなる場所であれ、共鳴の焦点を造り出し、その振動数を換える。そんな、ちょっとSF的なことが、ヒーリング・タッチを修得すれば実際にできるようになる。

◎4つの密珠という同一テーマにて、立て続けに3度、龍宮道研究会を執り行なったことになる。同じテーマの繰り返し、それも3度も繰り返すことは初めてだったが、4密珠の威力・偉功に私自身、驚きの目を瞠[みは]りっぱなしだった。
 これまで、武術的な相対稽古等に関してはぜんぜんダメだった人たちが、この最新マナ(修法)をヒーリング・タッチでインストールされた途端、突然、手ごわく、粘り強くなり、教わってもいない波紋のわざを、滑らかに舞い始める・・・。私は我が目を疑った。
 次に掲げるムービーは、研究会2日目の模様だ。参加者が学んだことを実際に試す場面が収録されている。本来、全員と次々に手合わせしていくが、時間を節約するため数名ずつに限っている。
 前日に4密珠を初めて学んだ者も何人かおり、不慣れ・不徹底な点も多々ありはするが、それにしても長年彼女/彼らの動きを観てきている私に言わせれば、それこそ「奇跡的」といっていいほどの変容ぶりといえよう。
 私たちは今、過去の自分の動画と今現在のそれとを比べてみて、そのあまりの違いに、お互いに大笑いし合っているところだ。  

 

<2013.03.14 桃始笑[ももはじめてさく]>