Healing Discourse

ヒーリング随感5 第10回 龍宮探訪記(前編) 高木一行

 古い資料を整理していたら、かつて沖縄の慶良間[けらま]諸島で海中帰神セッションを執り行なった際のリポートが出てきた。
 執筆者は妻の高木美佳。セッションの日付をみると、2000年7月14日とある。
 それに先立つこと約1年前、久高島で初めて海中帰神法を試みた際の体験については、ディスコース『久高島巡礼:2013』でそのあらましをご紹介した。
 今、改めて過去の記録に目を通してみると、稚[わか]く拙[つたな]い点が多々あってほほ笑ましいかぎりではあるが、真理を求め、真剣に、熱心に、真面目に取り組んでいる姿勢は評価できよう。顧みればこれまで常に、触れれば斬れるような真剣さを貫き通し、燃え上がらんばかりに熱心であり、いやったらしいほど生真面目だった。
 龍宮の道が新たに開示され始めた今、その礎石(布石)の1つとなった過去のセッションを振り返るのも決して無意味・無意義ではあるまい。以下、2回に分けてリポートの全文をご紹介する。
 なお、当時取り扱っていた行法などの特殊な名称(ジャーゴン)には、簡潔な説明を付しておいた。

特別セッション・リポート
龍宮探訪記 高木美佳

 海中の秘儀

 平成12年7月14日、沖縄の海の中で最も美しい場所の一つとされる慶良間諸島にて、海中で超越的意識(二元性を越えた根源意識)を宿す「龍宮セッション」が開催された。参加者たちはまったく未知の世界へ導かれ、伝説の「龍宮」をまのあたりにすることとなったのである。
 様々な超越的体験を通じて学びを進めてきた参加者にとっても、海中に身を置きつつ帰神法を行ない、超次元へと参入するというのは、まったく初めての体験である。
 沖縄の人々は海の底、あるいは海と空が出会う彼方にあるという楽園「ニライカナイ」の伝説を語り伝えてきた。ニライカナイとは生命の叡知が蔵されたシャンバラの海版であるともいえる。ご存知の方も多いと思うが、最近、沖縄の海底で世界4大文明よりも遥かに古い時期のものと推定される構造物が発見され、世界中の注目を集めている(遺跡ではなく自然のものという説もある)。沖縄の海には、私たちがまだ知らない、超古代の叡知が眠っているのかもしれない。私たちは海という媒体を通して龍宮にアクセスし、その力の本質を学ぼうとしているわけである。
 海の中での学びとはいかなるものか? 水中ではある程度重力から解放されるため、余分な力みを入れる必要がなくなり、受容性が高まる。ゆえに、陸上で練修している様々な修法が、より奥深く心身に作用してくる。
 また地上でのように、体重を支えるために無理な姿勢をとるためのエネルギーを浪費しない分、通常では不可能な身体運用法をやすやすと体現できるのも特長の一つだ。
 海中という環境を最大限に活用した新しい修法の数々も伝授されることとなった。「新・三種の神器」としての3点セット(シュノーケル、マスク、フィン)を使う水中ストレッチング、水中ヴァイブレーション、海水による舌や口腔の禊[みそぎ]祓[はら]い等、水の中でなければ絶対に行なうことのできない行法である。新・三種の神器のおかげで、水中に慣れてない人や泳げない人でも、簡単に海の中での学びを進めることができる。実際、小休憩を1度とっただけで、セッションは海の中で朝10時から午後5時頃まで続いたのだ。参加者のほとんどがシュノーケル初心者であったにも関わらず、私たちは時間がたつのも忘れて、龍宮世界に夢中になっていた。
 今回のセッションの先がけとなったのが、前年の平成11(1999)年8月26日、沖縄随一の聖地と現在でも崇められる久高島[くだかじま]へ、高木先生が同行者3人と共に赴かれた「巡礼」であった。久高島は12年に1度執り行なわれる女だけの秘祭イザイホーで有名な巫女の島である。久高島の聖地のいくつかは、いまだに男子禁制だ。現在でも女性がかなり強い支配力を有しているこの島は、地球上にあまたある聖地の中でも、特に女神の力に直通する場所であるという。
 それでは以下に、参加者のリポートを適宜抜粋しつつ、龍宮セッションの模様をご報告したいと思う。

 龍宮セッション開始

 いよいよセッション当日、大型台風が数日前に過ぎ去ったばかりの慶良間は、空も海も大地もすっかり禊祓われたように澄み渡っていた。台風の影響が懸念されたが、龍宮の神々のご加護か、空は快晴で波も穏やかであった。
 セッションの場となる無人島に渡るため、朝早く小型ボートに全員が乗り込んだ。
 島に着くと、諸々の準備を済ませ、まずは浄めの香を焚き、超越世界に祈りを捧げることでセッションは幕を開けた。水着の上に長袖・長ズボンを着て、海の中に入る(長時間直射日光にあたるため、日焼け対策は万全である)。
 さっそく、先生よりシュノーケリングの基本的な技法を教えていただいた。簡単な技術とはいえ、これが修得できなくては龍宮の贈り物を満足に受け取ることができないので、グループに分かれ、時間の許す限り練修する。
 それから浅瀬で海中帰神法の実修へと移り、先生に導かれつつ、徐々に心身を超越的状態へとシフトさせていった。
 するとなぜか、暖かかったはずの海が、異様な冷気を伴って私たちの身体を押しつつんでくるではないか。先生は、この冷気こそ、女神的な陰の作用のあらわれであり、抵抗せず受け容れてしまえば寒さとして感じなくなるのだと言われた。
 鳥肌を立ててブルブルと震えている私たちに対して、聖杯呼吸法を行なうよう指示があった。
 息を吐ききって止め、全身の毛穴が酸素を求めて開き始めるのに合わせて、全身全霊で「受け容れ」の態勢に入ると、身体の内奥から暖かいエネルギーがサァーッと沸き溢れてくる。
 何度か繰り返すうちに、今までの寒さが嘘のように消え去り、暖かな波が心地よく肌を打つ。
「龍宮は海中の特定の場所にあるのではなく、波打ち際に足を踏み入れた瞬間から存在している。既成概念を捨て去って全身を委ねるほどに、みえざる女神の力(受容性の本質)が感じられるようになるだろう。」
「波のあらゆるヴァイブレーションを受け容れることによって、身体内外に微妙な空間的ズレが生じる。それをさらに進めると、体表面と内部が分離されるかのごとき感覚が起こり、皮膚に包まれた空間内で骨格が新たに整え直されていく。それを常に意識するように。」
 こうした先生の注意や指示に従って、海という存在そのものを全身で感じとるようにしていくと、グイグイと龍宮世界へ引き込まれていくようだ。それはまさに、女神の懐に抱かれているという感覚であり、人間というちっぽけな存在が、大自然の中で生かされているという実感である。このような状況では、人間本位にものごとを考えることはできない。私たちは海で学ばせていただいているのである。

 参加者によるリポートからの抜粋:1

 女神とは受容性そのものであり、エロースの根源、まさしく母なる海の如きものなのであって、羊水の中の胎児のようにそこに抱かれて浮游のうちにブロックを溶かして、禊ぎ祓わせていただくのである。最初のうちは寒気がしたが、それもまた解き溶かすようにすべしと言われていたとおりにするといつしか寒気はなくなっていた。<酒見賢一>

 参加者によるリポートからの抜粋:2

 海に入り重力から解き放たれて、ただ身を委ねることがこんなに素晴らしいとは想像もつきませんでした。珊瑚礁に映る光と影の戯れがまるで万華鏡のように見え、また海と空の交合と言いましょうか、海と空のエネルギーのダイナミックな流れが素晴らしく、海と空の境目の海面がとても魅力的でした。<松井力士>

 3点セットをつけて身体の力を抜いていくと、プカプカと漂う水死体のようになる。先生は、シュノーケリング中における純自然体休養姿勢(肥田式強健術のリラクセーション姿勢。ヨーガの「死体のポーズ」にも通じる)とは、このようにうつ伏せの状態で浮いていることだと言われた。その時、沈まないようにしようと思うだけで、身体のどこかしらに力を入れてしまう。すると、逆に沈んでしまうのだ。本当に水死体になったように、自分の意思を介在させることなく、波のリズムに全心身を委ねていくと、自然に身体が浮いてくる。受容性が高まった状態においては、まさに死んでいるような実感が湧いてくる。そして、何も考えずに瞳光不睨(1点を見つめず、視界を柔らかに開く。いわゆる観の目)で海の底の珊瑚や魚をみていると、光と影の存在が同時に感じられ、その影の部分にどんどん引き込まれていく。それは地球の中心にまでつながっている、黄泉の国への入り口のようにも感じられた。水死体となっている時には、まさに「死」がそこにあるような、恐ろしい気持ちにとらわれそうになる。きらびやかな生命のダンスと同時に、静かな死の世界も存在する。それもまた、龍宮の一面であった。

 参加者によるリポートからの抜粋:3

 太陽光と水面が織りなす光と影の乱舞、極彩色の彩りの小さな魚たち、海中の植物、珊瑚、すべて美しく、仲間であると思った。見上げれば水面上に光があり、共に学ぶ友人たちが一律の動きで同じ方向へ泳いでいく。小魚やイルカの群れのように、我々も海に棲むひとつの群れである、と感動した。
 確かに陸上における重力から解放され、また別の力、浮力、圧力、引力のようなものの中で水棲ほ乳類や胎児のように浮かぶことは姿勢や意識に格別の作用を及ぼすようである。肩の荷が下りるというより、荷など負いようがなく、空手であり無所有の感覚がある。その中で日頃、筋肉や骨格にエゴが掛けている負担をさらに溶かしてしまえばいい。<酒見賢一>

 参加者のリポートからの抜粋:4

 浅いところと深いところを行ったり来たりしているうちに、海と一体化した感じがしました。細胞の1つ1つまでがとろけてしまう感じで、エクスタシーに包まれました。人魚姫が最後に泡になるというのは、このようなことかと1人で納得していました。<山田美恵子>

 参加者のリポートからの抜粋:5

 フと気がつくと、水中メガネを通して眼に映るきらびやかな光景は何も変わっていないのに、自分が今暗黒の空間に存在しているという感覚が心身を包んでいた。深海魚なるものが棲息する深い海底もかくや、というような漆黒の闇から遥か上の輝く世界をモニターしている、そんな強烈な思いにギョッとして何度も首を巡らせて周囲が元の海のままなのを確認した。
 そして次には、真昼の美しい海よりもさらに明るく輝く、もっと魂の根源まで照らし出し、沁み透ってゆくような神々しいまでの眩さに満たされているという名状しがたい陶酔感に浸っていた。暗さも輝きも、それは視覚によって認識されるものの筈なのに、眼に映るのは始終沖縄の海のまま、視神経だけをこの世に残してそれ以外の全感覚器官が別の次元に運び去られてしまったかのようだった。
 瞬間の幻のような、多くの土産物を授かった永い遠い旅のような、またしても私はそれが自分の受容し得る範囲を越えた体験だったことをリポートに記さねばならない。自分の「命」が膨張し、大きく、より賑やかなものに変貌してゆく、正に神秘としか呼びようのない感触。<水野幸司>

 ・・・後編に続く。

<2013.05.04 牡丹華(ぼたんはなさく)>