Healing Discourse

ヒーリング随感5 第19回 反逆者の道

◎前々回、1人部屋に移ったことをご報告した。
 感謝の気持ちを表わすため、要[い]りもしない重湯を何口か飲みまでしたのだが・・・。
 その夜から、いかめしい顔つきをした警官たちが6名も、交代で私の見張りにつくこととなった。
 一体、どういうことなのか、いまだに理由がわからない。
 監房入口部分の目隠しが取り払われ、一晩中、私の頭のすぐそばで(頭を戸に向け寝る決まりとなっている)椅子に座った警官がじっとこちらを見詰めている・・・状態では、・・・元来、繊細な神経の持ち主である私は、ほとんど一睡もできなかったね。
 おまけにその連中、故意か偶然か、私がちょっとウトウトしかけると、ガサガサ音を立てたり、ヒソヒソしゃべったり、あげくの果てには大きないびきをかいてみたり(呵々[かやかや])。これは睡眠妨害を目的とする新手の「ゴウモン」か、何か知らぬが、鬱陶[うっとう]しいこと、この上なし。

◎断食わずか3週間あまりくらいでオタオタし、右往左往し、スットンキョウな行動に走る、警察側の軽挙妄動ぶりには笑うしかないが、何だか自分がどえらい重大事件を引き起こした犯人か、あるいはVIPか、またはパンダ並みの珍獣にでもなったみたいな、そんな気持ちになってきた。
 とにかく、私の意志、意向とは無関係に、何もかもがどんどん「大ごと」になりつつある。
 食べて、食べて、ひたすら食べ続ける飽食の時代を生きる現代日本人にとり、「食べないこと」は死の暗示に他ならず、何も口にしないことで抗議を続ける私のような存在は、「あってはならぬもの」「タブー」として、豪胆なはずの警官たちをも浮き足立たしめるのだろう。
 こちらは無邪気に「まだまだ序の口なのに、一体何を大騒ぎしているのか?」とキョトンとしているのに、あちらはいつ私が倒れるか、死んでしまうかと、気が気じゃないらしい。
 長丁場なんだから、必要なときには適宜栄養を補給し、厳格に体調管理をしてゆくと事あるごとに言ってやるんだが・・・、頭の固い、融通のきかない者たちの耳にはまったく届かぬようだ。
 寝具を運んだり、部屋を清掃したり、勾留中もあれこれ作業があるが、断食を理由にそれらを休んだり、あるいは作業が滞ったり、そういったことが、これまで1度も、ない。
 観察していると、収監者たちの大半が、いろんな薬を毎日服用しているが、私には薬など一切無用だ。
 食べている方と食べていない方と一体どちらが健康なんだか。

◎少し前、LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)の発明者として名高い、アルバート・ホフマン博士の、100歳のバースデーを祝う大がかりなセレモニーの模様を記録したDVDを観た(『LSD:My Problem Child』)。
 世界的に有名なアーティスト、アレックス・グレイを始めとする錚々[そうそう]たる人々から祝福を受けるホフマン博士の、100歳とはとても思えぬ矍鑠[かくしゃく]とした態度・姿勢といい、明晰な頭脳を示すしっかりした話しぶりといい、LSDのおかげかどうかは知らぬが、あんな風に歳を取る一助となり得るのならば、LSDというものも悪くはなさそうだと思った。
 私はLSDなるものを使用したことが1度もないが、それが20世紀におけるコンピュータ革命の起爆剤となり、映画の特殊効果や多様な芸術作品のインスピレーションの源泉ともなり、自分自身を深く知ろうとする人々の内面探求を助けてきたことなどを、様々な文献等を通じて知っている。ノーベル賞受賞者のジェームズ・ワトソン博士は、LSDを使用中に観[み]たヴィジョンがきっかけとなって、DNAの2重螺旋構造を発見したという。
 最近では、群発頭痛の特効薬としても、LSDが注目されているそうだ。
 頭痛を治すのにLSD? なんて早計な判断を下してはいけない。群発頭痛というのは、そのあまりの耐え難さに自殺する人も少なくない、現代医学では治療困難とされている難病なのだ。 

◎大麻(マリファナ)なんて、以前はまったく興味がなかった。
 非合法なものだし、人生の落伍者が手を出すような代物であり、人格を破壊し、人を怠惰にさせる危険なドラッグの一種である、そのように認識していた。政府とマスコミに洗脳されていたのだ。
 ところがここ数年、世界的規模で大麻解放の気運が高まりつつあり、かつて最も厳しく規制していたアメリカでさえ、医療用大麻の販売、所持、使用が19州とワシントンD.C.で認められ(本稿執筆当時)、昨年末にはついにワシントン州とコロラド州の2州で嗜好用大麻までが、解禁の運びとなったのである。
 こうした流れを受け、私も大麻についてあれこれ調べてみたら・・・あっとびっくり仰天した。
 精神や肉体に悪影響があるという話は全部でたらめだった。
 心身への有害な副作用は認められておらず、依存性(中毒性)もなく、それどころか多発性硬化症、てんかんを始めとする様々な病の治療薬となり、末期ガンやエイズ患者の失われがちな食欲を増進させ、心をなぐさめて生きる希望を与え、おまけにその繊維は紙や布の原料となり、建築資材ともなり、実から採れるオイルは自動車まで動かすことができるというではないか!
 大麻は約100日で育ち、荒れ果てた土地でも栽培可能であり、貴重な森林資源や環境破壊の主因となっている石油資源の代わりを充分、務めることができる。現在、25,000~50,000種類もの大麻の用途が知られているというから、驚かされるではないか。
 大麻は現代文明の行き詰まりを打破する鍵となり得るのではないか?

◎さらに調べてゆくうち、大麻は日本の精神性と深い関わりを持っていることがわかってきた。
 神社のしめ縄は大麻製であり、伊勢神宮で頒布されるお札[ふだ]は「大麻[たいま]」と呼ばれている。
 天皇家のために、今も大麻が特別な許可の元で栽培されている(儀式に用いる衣服の材料というが、昔は別の用途があったかもしれない)。
 かつて大麻は、日本のどこでも見られる、ありふれた草、あるいは作物だった。私が若い頃暮らしていた川崎市の麻生[あさお]も、大麻と関わりの深い地だったのだろう。第2次世界大戦中は、布やロープの原料として政府により盛んに栽培が奨励されたといい、私の実家でも育てていたと聴いて驚いた。
 その大麻がわが国で悪魔の植物として非合法化され、厳しく取り締まられるようになったのは、終戦後、GHQによって「大麻取締法」なる矛盾だらけの法律が一方的に押し付けられて以来であると知ってさらにびっくり。
 弾圧の急先鋒を務めていた本家本元のアメリカでは、すでに大麻解放が急激に進みつつあるというのに、日本はいまだに旧態依然として時代の流れに逆行し続けている・・・??!!
 先進国の中で、大麻を厳しく抑圧しているのは、日本だけという。

◎俄然、大麻に強い関心を抱いた私は、実際に育て、使ってみたいと思った。
 免許を取得すれば、大麻を育てることができる、と大麻取締法にあったから、まず植物学者の知人に手伝ってもらい、これなら文句のつけようがあるまいという入念な栽培計画書を作成した。
 それから、薬物中毒者でないことを証明する、医師による診断書も得た。
 そのようにしてすべての必要書類をそろえ、免許を申請したが、・・・良い結果を期待した私はあまりにもナイーブだった。
 出願して待つことしばし、届いた返事を要約すると「ダメ」の一言。理由を問うと、「ダメなものはダメ」の一点張りだ。
 必要な条件を満たせば、栽培許可を得られるというのは大嘘で、許可を出す気なんて、体制側には毛頭ないことがわかった。

◎警察や検察での取り調べにおいて私が一貫して主張し、今後裁判でも述べようと思っているのは、今回の事件に関し、私は三重に無罪である、ということだ。
 あらかじめ麻薬と認識した上で他者に指示して麻薬を密輸しようとした、というのはもちろん検察・警察のでっちあげ。
 次に、メチロンなる化学物質を厚生労働省が麻薬指定したというが、その際に憲法が求める手続きが正しく踏まれていなかった、という点でも無罪。
 適正手続き、という概念が法の世界にはあるのだが、それは法律の中で最も重要なものとみなされているのだそうだ。適正手続きとは、今回のケースで言えば法律を改正しようとするにあたり、まず国民監視の元で専門家が検討し、科学的根拠に基づいて決定された内容を、国民に諮[はか]って意見を求め、最終的に内閣で審議して法改正を決定する、ということだ。そうしたプロセスをきちんと記録に残すことも、言うまでもなく必要だ。行政が国民を無視して勝手に法律を変えてはならない。そういうごく当たり前のことが、メチロンの麻薬指定に限らず、我が国では守られてない(これも逮捕後に調べてわかったことだ)。麻薬指定を検討した議事録すら存在しないというんだから、もうめちゃくちゃである。三権分立も無視(元来、法律を作るのは国会であって行政ではない)、罪刑法定主義(ある行為を犯罪として処罰するためには、国会で審議して決めなければならないという原則)も無視。これはもはや行政による独裁ではないか。表面的には独裁とわかりにくい、新しい形の独裁だ。日本国憲法には、適正な手続きによって制定・改正されたのでない法律によって、国民が裁かれ、罰せられることはあってはならない、とハッキリ明記されているのだが(第31条)・・・。
 3つ目の無罪主張は、麻薬麻薬と騒ぎ、悪いもの、社会から排除されるべきものと一方的に決めつける、そのこと自体そもそも正しいのか、という問いかけだ。

◎言うまでもなく、薬物の中には規制されるべきものも存在する。覚醒剤とかヘロイン、コカインなど、依存性(中毒性)が高く、心身に害を及ぼし得るようなものに対し、私は反対する立場をとる者だ。
 しかし、いわゆる麻薬(天然のハーブを含む)の中には、実は人間にとって有益なものがたくさんある。様々な文明において、神聖とみなされ敬われてきたものも多い。私自身も、かつてそうしたハーブ類を慎重に、科学的な態度で実験してゆく道程で(当時はすべて合法的なものだった)、計り知れぬほどの恩恵を受け、新たなる人生を得るに至った。
 いくら感謝しても、しきれない。
 それは神聖な力と人がコンタクトするための媒体だ。ハーブや薬品の中に神聖さが入っているわけではないが、その薬理作用を媒介として、人は聖なる世界とつながることができる(ある種のコツのようなものが必要ではあるが)。
 それは人類のより良き未来のため、絶対に欠くことができないものだ。
 そのように信ずるからこそ、私は自らが罪に問われることなど一切構わず、あえて積年の信念を司法の場へと持ち込み、こうした元来聖なる目的に使い得るものを一方的に、国民との徹底した話し合いもなく、非合法化することの是非を問いかけようとしている。どれだけ真剣であるかを断食により示しながら。

◎世間一般の常識からすれば、ばかばかしいの一言で片付けられるであろうことは、百も承知だ。法律の方がおかしいとか、意識を変えることは基本的人権であるとか、そんなことを法廷で述べようものなら、頭の固い裁判官らは反省の意思なしと決めつけ、罪が重くなるだけであることは、私だってよくわかっている。
 しかし、誰かがやらねばならない。
 誰かが犠牲とならねばならない。
 誰かが「外側」からではなく「内側」へと入っていって、命をかけ、訴えねばならない。
 善良な、ごく普通の生活を送っている、だが道を外れる勇気がある人々、並々ならぬ好奇心と探究心をあわせ持つ者たち、・・・が、憲法を踏みにじるやり方で勝手にでっちあげられた麻薬取締法や、すでに完全に時代遅れとなった大麻取締法なる悪法の元、容赦なく狩り立てられ、捕えられ、中世なみと世界中から批判を浴びているやり方で、無慈悲に監禁・尋問され、自らの信ずるところとは裏腹に聖なる世界を否定することを強要され、あげくの果てに社会的落伍者、人間失格の烙印を捺[お]され続けている我が国の悲惨な状況に対し・・・絶対に、断固として、「否」を唱えねばならぬ!
 そのための一助となれるのであれば、私はこの身を喜んで捧げる。
 それだけの恩義を、私は神聖な世界からずっと受け続けてきた。
 いったん「コネクション」が確立されれば、現在の私がそうであるように、ハーブや薬物の助けを借りずとも超越的世界とつながり続けることができるのだ。

◎今、当然のように我が国で行なわれている「これ」は、宗教弾圧そのものであり、「自らの内面を探求する」基本的人権の否定に他ならない。
 こうした人権の抑圧が平然と横行し続ける限り、私たちの未来は暗澹[あんたん]たるものとならざるを得ない。

◎ヒーリング・アーツを母胎として、新たに生まれ出てきた龍宮道は、生命[いのち]の法に基づく、反逆者のための道だ。
 反逆の精神[スピリット・オブ・レベリオン]を備えた者たちが、強さとしたたかさ、そして英知を、そこから汲み上げることができる、生命[いのち]の源泉だ。
 誰[た]がためにこの道(龍宮道)はあるのか、と昨年よりずっと問いかけ続けてきたが、ここへ至って私はようやく、その答えをみい出した。

<2013.10.20 断食 Day27>